NEVER GREEN age15 vol.2 ---雨。其れは散弾銃の如く人を殺す
| それから三日の間に、ヤマトは二度出撃した。平均的な出撃頻度は、だいたいこの部隊で二週間に四回か五回くらいだから、平均より格段に多いと言えるだろう。それが、早く新しい隊に慣れさせるための上官なりの配慮なのかはたまた偶然なのかは分からなかった。 只、それと反比例するかのように、俺には一度も空は回ってこなかった。 任務以外に、何もすることが無いのがこの暮らしの大きな特徴だろう。談話室には幾許かの本や雑誌の類が置いてあったが、興味がないのでどんなジャンルなのかすら知らない。とりあえず私物で持ち込んだ本を読み返したりするなどして暇を潰していたが、それも三日目になると限界が来た。 俺は此処に、空を飛ぶために居るのだ。それなのに。 暇があればふらりと、空を見上げるだけだなんて。抜けるように青い空だとか、今にも落ちて来そうな曇天だとか。それは、下から見上げることしかできないやつの言葉だ。飛んでしまえば、いつでも空は手を伸ばすだけで届く距離にあるし、反対にどこまで飛んでも空は空だ。 いつの間にか空は暮れて、地面に這いつくばって三回目の夜が訪れようとしていた。生憎ヤマトは任務で出ていたから、俺は部屋のデスクに腰かけて、もう何度目になるか分からないほど読んだ本を再度開く。 ぽつりぽつりと、雨が窓を叩く。五月蠅いと思う程騒々しくは無い物の、曖昧に思考を掻き乱してくるそれが、読書を強引に中断させる。別に、本の内容など今更読み耽る物でもないのだけれど。 窓の向こうに目をやれば、落ちる水滴にぼやけて、滑走路のランプが明滅している。あれが光っているということは、まだ飛行機は飛んでいるということだ。別に任務や着陸に支障が出るほどの水量ではない。今日、確かイザークも飛んでいるはずだ。お手並み拝見だと、意味の分からないことを言って不敵に笑っていたのを思い出した。昨晩、ニコルを食事に誘って談話室で待ち合わせていた時に、上官室から降りてきたイザークがそう言ったのだ。別に誰の腕が一番でも、何も関係ないし変わらないと思うのだが。 けれど、確かにイザークの腕は群を抜いているだろうとは思う。客観的に自分と比べるということは難しくて正直分からないが、グリップをさばく速度や、視界の広さ、極めつけにエンジンを操るタイミングなど、総合的に見ればニコルとディアッカよりは優っているだろうと思う。細かく見れば、ニコルは索敵が、ディアッカは弾の命中率が優れていてこの隊では誰も敵わない。 何時の間にか、雨脚は激しくなっていた。窓ばかりか官舎の屋根を叩いて、不気味な音が木霊している。 次に何時、空に上がれるだろうか。この本の中に、土砂降りの中をわざわざ出て行って雨に濡れるシーンが出てくる。その雨は、これくらい激しいだろうか。この雨を見て、打たれたいと思う気持ちが分からない。それは闇の中、見えない敵から散弾銃を浴びるようなものだろうか。真っ平だ。丸腰で戦ったことなどないから知らないが、俺はパイロットだ。撃ってきたら、避ける。そして撃ち返す。しかし主人公は、一方的に雨に打たれて、次のシーンで晴れ晴れとした様子で出てくる。それはつまり、生まれ変わったのだろうか。雨に撃たれて一度死んで、夜明けに再び目覚めるような。 人は本来、簡単に死ねるものではないのか。例えば、雨に打たれただけで。 これぐらいの豪雨なら、一瞬で死ねるくらい。 人は、脆いものなのだろうか。 分からない。知らなくて構わない。 しかし俺は、雨に濡れても死なない。冷たいだけ、煩わしいだけだ。 空で死ぬために、此処に居るのだ。 ああでも。空で、雨に撃たれるのは確かに心地よい。土砂降りのシャワーを浴びて、コックピットに水が溜まって、エンジンが不快そうな音を立てる。けれど、嫌だとは思わない。シャツが肌に張り付き、ゴーグルから水が滴る。このまま操縦を誤って、山肌に突っ込むのではないかと思うとぞくぞくする。 空と地面とで、こんなにも違う。 妙なことだ。 丁度思考が一段落したところだったから、驚いた。計った様なタイミングで、部屋の扉が開かれる。窓から視線を反らして其方を見れば、案の定、ヤマトが全身を濡らして立っていた。 一瞬、視線が絡む。 冷たい、死人のような瞳だ。咄嗟に、そう思って驚いた。 ここ三日のヤマトの様子からは、信じられない豹変ぶりだ。ヤマトは何も言うことなく、此方を見てくる。その視線を無視して、ヤマトの表情に穴が開くほど目を凝らした。表情が、無い。気取っているのでも、消沈しているのでも、気負っているわけでもない。固まっているわけでも、ない。と俺は決めつけた。これまでに、どんな人間の上にも見たことのない色だ。 余所余所しい間柄だからではなく、何を考えているのか分からない。 雨に濡れたからだろう、青白くなった皮膚が、その表情を一層際立たせている。 立ったまま、死んでいるのではないかと。一瞬馬鹿げた考えが脳裏を掠めた。 「ヤマト?」 そのまま永遠に動かないのではないかと思って、仕方なしに名を呼んでみた。こんな気持ち悪い人形に部屋の出入り口を塞がれては困るし、だいたい此れは人間のはずだ。少なくとも、今日の昼まではそうだった。 「あ……」 すると人形は、確かに呼びかけに反応したようだった。俺の額あたりに留まっていた視線を走らせ、ゆっくりと俺の全身を見渡す。ようやく其処で、自分の視線の先に誰が居るのか、理解したように見えた。 「ザラ…くん……」 伴って寄越された笑みは、死人のような瞳より更に一層、気持ち悪いものだった。口角が上がり切らず、眉は下がり切らず。温和どころかギィギィと、油切れの歯車の音が聞こえてくるような不自然さ。 なんだこれは、と一瞬で考えたが答えがあるはずもなかった。笑えないのなら、笑わなければいい。それだけの話だ。社交辞令のように無理をする必要性は、この瞬間には考えられない。 この間もぽたぽたとヤマトの全身からは雨水が滴り落ちて、部屋と廊下の境界線に水溜りを作っていく。だいたいどうして、談話室の暖炉で体を乾かして来なかったのだ。壁にはそれぞれ、衣服を乾かしておけるハンガーも下がっているはずなのに。 知らないのか。その答えは全てに合点が行くから、おそらくその通りだろう。少なくとも、俺は何も教えていない。ニコルならあれやこれやと世話も焼きそうだが、まだヤマトとニコルは組んでいない。 あれはそれ、これはそれと案内してやるのは正直気が進まない。面倒なことこの上ない。だが、こんな姿で現れた、しかも同室のパイロットに見て見ぬふりはできない。 「全く、今すぐそこで服を脱げ。そしてシャワーを浴びてこい。タオルは右の、二段目の棚に入ってるから好きに使え」 ヤマトはゆっくりと頷いて、緩慢な動作で服を脱ぎにかかった。白いシャツは肌にべったりとくっついて、小麦色の肌と同化して見える。黒のスラックスなど、据えるだけ雨を吸い取って、普段の重さの五倍はありそうに見えた。それらをなんとかひき剥がして、ヤマトはぺたぺたとシャワー室に向かう。 「まったく…」 ヤマトがシャワー室に消えた後、残された濡れ鼠の塊を見て思わずため息が漏れる。当然だ。この流れではおそらく自分が、なんとかしなければならない。 とりあえず談話室に掛けておけば、明日には乾くだろう。 衣服を抱えて持って行ったら案の定、自分のシャツにも水が吸い込んでずっしり重くなった。その感覚が煩わしい。やっぱり雨は嫌いだと再認識する。 談話室の壁には、既に先客が居た。イザークのシャツだろう。白ではなく淡い水色のそれは、この隊ではイザークしか着ないものだ。負けず劣らずぐっしょりと濡れて、絶え間なく水滴を垂らして床を濡らしている。 既に部屋に帰ったのだろう、持ち主は見当たらなかった。ほっとする。別に構わないが、出来るならこの姿を見られたくない。ヤマトの代わりにそのシャツを干してやっているところなど、滑稽なだけだ。ニコルならやりそうだが、俺は好き好んでしているわけではない。好き好んでしているわけではない処を見られて誤解されたり笑われたりする事ほど、面倒なことは無い。 言い訳すればディアッカなどは余計に囃し立てるだろうし、そうしなければニコルにどうしたのかと聞かれるだろう。柄で無いことは、しないに限る。 ついでだと、隣に自分のシャツもかけた。これで明日までの服が無くなったが、もう後は寝るだけだ。特に構わないだろう。 階段の、いつものブリキのようなけたたましさが、雨で紛れて然程気にならないことだけが救いだ。他に、雨の良いところなど地上では思いつかない。 部屋に戻ると、ヤマトはタオルで髪を拭きながらデスクに座っていた。部屋にデスクは一つきりだ。仕方なく俺は、自分のベッドに座る。 「服は?」 唐突に投げられた、問いに込められたのは違和の無い抑揚。 シャワーで落ち着いたのだろうと、あたりを付ける。何であれ、先ほどの様な気持ち悪さはごめんだ。人間なら、それらしく振舞って貰わないと困る。 「干してきた」 「そう…ありがとう」 「今回きりだ。明日、片すついでに仕方を教える」 「勿論。ザラ君、優しいんだね」 「誤解だ」 「そんなことないよ。……ありがとう」 結局、面倒事になったのは間違いないようだ。煩わしくて返答を保留すれば、何が可笑しいのかくすくすと笑い声が聞こえてくる。ふと気になって顔を上げれば、ヤマトの表情は自然の笑みを浮かべていた。一抹ほっとしたが、かといって笑われるのは癪に障る。 だいたい、笑う意味が何処に在る。 「笑うな」 耐えきれなくて、気づけば音にしていた。 誰が何時何処で笑おうとも、自由だと分かっているはずなのに。 「どうして?」 僅かに笑みを薄めて、ヤマトが問う。 「嫌いだ。笑顔を貼り付けて寄って来る奴ほど、碌な奴じゃない」 「ああ、そんなこと。大丈夫、僕は、ザラ君に媚びるつもりは無いよ。それに、これは処世術でもない」 自分の為なんだ、と。言われれば何も言い返せない。 だいたいどうして嫌いなのかも、上手く説明できないのだ。只、癪に障る。 「さっき、驚いたでしょう?僕の顔を見て。まず、ああなるんだ」 何の話を勝手に始めたのか分からない。要するに、聞けと言うことか。 「きっとこれからもああなるから。知っていて欲しいんだ。そして次に、こうなる」 笑ってばかりで、饒舌にね、とヤマトはまた目もとを綻ばせる。其処には微塵の狂いも無いばかりか、全てが計算され尽くしたような皺があった。 「どうして」 死人のように冷たくなってみたり、かと思えば誰よりも人間らしく笑う。それを当然のように語る、その意味は。 「さっき、二機落とした」 ああなるほど、と納得がいった。 つまりシャワーという散弾銃を全身に浴びて、ヤマトは生き返ったのだ。 |
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