Limited lovers −限界宣言ー
8.cure
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ストライクをなんとかデッキに戻した後、苦しくて息が吸えなくてキラはコックピットに丸まっていた。けれど、只でさえ整備の難しいストライクに更にどう接していいか分からないコーディネイターの、しかも民間人のパイロット、とあって整備士の誰もがキラの不自然な沈黙に声をかけてはくれない。外に出てロッカールームに薬を取りにいかなればならないことは分かっているけれど、もう自分を誤魔化すことなどできないくらいにキラの体は限界だった。何度決死の思いで呼吸を整えようと試みても、虚しくひっかくような音が喉から漏れるばかりで。 「、っ、あ…」 ごめん、と。心の中だけで謝る。其の先に居るのは此の艦にはいない幼馴染だ。まさか自分が彼の敵艦の所属MSを操ることになるなんて信じられなかったけれど、彼は何も変わらずに…優しかった。殺せずに苦しむキラに、優しく手を差し伸べてくれた。何人もザフト兵を殺してしまったキラに、それでもザフトに来いと言ってくれた。 キラはEVIDENCEだ。自分で其の価値を知らないわけじゃないから、ザフトに入りたいと言えば実際は何とでもなるのかもしれない。けれど。薬が切れただけでこんなになってしまう体にとても軍人は務まらないし、此処でザフトに行くなんて殺してしまった人に何と言えば良いのか分からない。 荒い息を繰り返し、混濁していく意識の中でそんなことを考えながら、キラは通信を交わしたアスランの顔を再び思い出した。 「ア、スラ…!!」 耐え切れずに名を呼んで縋ろうとしても、其の姿はもうまたしても記憶の中にしかなくなってしまっている。先ほどまで確かに会話していたはずなのに、アスランはまた果てしなく遠くへ行ってしまった。 否、今度はキラが突き飛ばしたのだ。伸ばしてくれた手を、案じてくれた声音を、振り切って此処へ帰ってきたのはキラの意志だ。普通のコーディネイターであったとしても地球軍に居るなど愚かで危険の極みだというのに、キラは更に体のことがあるのだ。生まれたときから「異常」であることを分け合ってきたアスランにとって、キラがAAを守ろうとすることはどれだけ馬鹿げた事に見えただろう。軍人として戦場に立つアスランには、腹立たしくすらあったかもしれない。 消えそうな意識を保つ為にとりとめもないことをつらつらと考えてみたけれど、もともと外へ出てロッカールームへ行く体力すら残っていないキラに限界は直ぐに訪れた。「ごめん、」ともう一度呟いて意識を手放そうとした刹那、コックピットの扉を激しく叩くムウの声が聞こえた。 「おい、坊主!!どうした、出て来い!!」 無論、出て行く元気も無ければ応える体力も無い。 「いろいろ考えこみたい気持ちも分かるが一度出て来い!お前は此の艦を守ったんだ、礼ぐらい言われておけ!!」 ああ、彼は何か勘違いしているのかな、とキラは考えた。確かに初めての宇宙戦な上に、此方は他に艦を除けばMA1機という背水の陣だったのだ。屠った命もあったし、普通の人なら何か人間や戦争の脆さや怖さについて考え込んでしまうのかもしれない。 そう思って、やはり自分は普通ではないのかと、自嘲したい気分に駆られた。けれどもう笑い声は露ほども零れ落ちなかったし、鋭角に唇を持ち上げる力すら残っていなかった。パイロットシートに両足を上げ、山の字に曲げた膝に顔を埋めたまま、両腕は脚を抱え込む力すらなくして横にぶらりと垂れ下がっている。まがりなりにも呼吸が楽な体勢とは言えなかったけれど、もう指一本動かすことは出来ずに酸素の足りなくなった頭が酷い頭痛を訴えていた。
「おい、キラ!!」 ガウン、と、一際大きく響いた鈍音がキラの頭に容赦なく響いて、キラは顔を顰める間もなくあっさりと意識を手放した。呼吸困難に抗うことなく完全に自発呼吸が止まったその姿に、息を呑んだムウの気配はもうキラには届かない。 ただ、その少しだけ前。扉を力任せに叩くムウの強い声から、ああ彼も無事だったのだ、と、頭痛に身を任せながらそんなことを思って。 AAを守れた。それだけは本当に良かったと思いながら、とうとうキラは一般的なコーディネイターよりも数段優れているはずの体力・感覚・理性などの全てを限界まで消耗しようとしていた。
(死ぬ、のかな…) 発作自体は初めてのことではないけれど、起こした時は大抵傍にアスランが居て、直ぐに処置を施してくれた。ヘリオポリスに移ってからは味気ない錠剤だったけれど、それだけが微かに残るアスランの名残のようで、一日三度のそれを一回たりとも欠かしたことなどなかった。 だから、此処まで発作が進んだのは本当に初めてのことで。危険だ、とは言い聞かされていたし現に初期の発作の時点で充分苦しいものなのだけれど、具体的に発作をどれぐらい放置しておいたら命に関わるかなんて、そんな危険なデータは何処にも存在しないから。 根拠も何もなく、只死ぬほど苦しいってこんな感じかな、とまた考えて。ごめん、と。再び胸中で同じ相手に謝った先に、もうキラの意識はなかった。 「ぼう、ず…??」
ことり、と首を横に力なく垂らして丸くなるキラの背後からそっと近寄って、ムウがその肩に触れる。途端ぐらりと大きく傾いたその体に、後ろから見守っていた整備士たちが声にならない叫び声を上げた。 「大尉、坊主は…?!」 倒れた体を何とか支えたムウの尋常でない表情に怯えながら、整備士達を束ねているマードックが恐る恐る尋ねた。 「…はやく、早く担架を持って来い!緊急事態だ!!」 その叫びに数人が散った。人手不足の此の艦に軍医はおろか医者はいない。しかも、キラ・ヤマトはコーディネイターだ。大丈夫なのか、とそれぞれが疑問や不安を抱きつつ、医務室に急いで担架を取ってくる者やブリッジに通信を入れる者の騒ぎで様子が広まり、しばらくすればドック中の人間がわらわらとストライクの周りに集まってきていた。其の中心で青い顔をしてムウに体を預けているキラは、一見すると苦しげに眠っているだけのようにも見える。 「どうしたんだ、あいつ…?」 人垣の中のあちらこちらから聞こえてくる言葉には、キラがコーディネイターであると聞いているからか心配や好意が無いものも少なくない。その言い分に腹を立てる暇は勿論ムウには無かったし、説明してやろうにもどうしてキラがこうなってしまったのかは誰にも分からなかった。 「呼吸が止まってるんだ、頭を後ろに傾けて、絶対に揺らすなよ!!」 漸く届いた担架にそろそろとキラを固定し、二、三人で医務室へまた運ぶ。 一瞬困ったように顔を見合わせ、それから怒気すら含んでいるかのようなムウの勢いに押されて漸く手を貸す整備士の姿に、苛立ちを覚えてしかたなかった。 「…コーディネイターなんだし、ほっときゃ治るんじゃねえの」 ぽつりと届いた悪意の無い差別に、ムウは何故か憤りすら感じた。それは、ムウ自身はキラをコーディネイターとしてではなく、ストライクに乗る前、一人の民間人の少年が見せた駆ることを渋るあの苦しそうな表情を見ているからかもしれなかった。コーディネイターで、此の艦に乗る誰よりも優れた知能を持つであろう少年。けれど、キラ・ヤマトとしての彼の苦しげな選択と、守ると言い切った言葉を聞いたからかもしれなかった。 ムウは只一瞥、声のした方を一瞬だけ睨みつけると、そのまま担架に付き添ってドックを出て行った。 無重力の通路を慎重に進むたびに、けれど固定されていないキラの肘から先がふよふよと漂う。そのまるで意志の無い無機物的な動きに、ムウは背筋に寒いものが駆けるのを感じた。戦場で常に隣り合っているはずの「死」とは、また別種の恐怖。そう感じた自分に驚くと同時に、そのようなものに構っている暇はないと大きく首を振って恐怖を追い出し、絶える事なく「坊主、」と呼び続ける。 医務室に来てみれば、報告を受けたのかマリューとキラの友人である四人の子供たちが心配そうな面持ちでキラを待っていた。そして、担架で運ばれたキラの表情を見た途端、言葉を無くしてその場に立ち尽くしてしまう。傍目には静かに眠っているようにも見えるが、キラの生き生きとした姿を見慣れた友人たちにしてみれば今のキラはいっそ死人のようだった。本当に、静か過ぎて呼吸もしないままキラは眠っている。 「なんで……」 崩れ落ちるミリアリアを筆頭に成す術の無い子供たちと艦長に、ムウが簡単に分かる限りの事を話す。呼吸の喪失だなんて、どう考えても急なパイロット経験によるショックが原因にしてはおかしすぎる。そう説明したときに、サイがふらりと顔を上げ、ムウに向き直った。 「おかしいとか言われても原因はそれしかないじゃないか!! けど、キラはいつも薬飲んでるから、それがあれば、治るかもしれない…!!」 「あ!そういえばいつも昼に飲んでるな。無いと困るみたいだし、持ってきてるんじゃないか…?」 言を添えたトールに、ムウは反射的に医務室の通信機器に飛びついていた。サイに向けられる罵倒は、キラの友人からすれば全うなものだ。しかし、今はそれを論議している場合ではない。すぐさまドックに繋いで、ストライクのコックピットにそれらしいものが無いか確認を頼む。そうして振り返ったムウは、はたと我に返ると聊か不自然な心もちがした。 「おい、坊主たち。その薬何の薬だか知ってるのか…?」 コーディネイターが持病持ちだなんて、聞いたことが無い。 「知らないわ。聞いたけど、いつもキラは笑って教えてくれなかったもの…!!」 見よう見まねでマリューによって人工呼吸器を取り付けられたキラは、それでもまるで呼吸そのものを拒むかのように浅く荒い呼気を苦しげに遣り取りするだけだった。
「ねえ、コックピットにあったらキラはこんなになる前に自分で飲むんじゃないかな…」 それは、今まで一人一歩下がった場所から見守っていたカズイが漏らした一言だった。端的に言えば盲点だった。それもそうだ、と頷かずにはいられなくて、そのまま皆は黙ってまた薬のことを考える。 「けど、キラのやつストライクの他に行ったところなんて…」 もしかしたら薬そのものが無いのかもしれない、と全身を堅くするサイやトールに、けれどムウだけはキラがストライクの他に行った場所に思い当たった。 「ロッカールーム…あるとしたら、あそこか。あー眼鏡の坊主、付いて来い、俺じゃどんなものか良く分からんっ!」 早口で言い残して飛び出して行ったムウの後を、サイが少し遅れて付いていく。その後姿を見送って、マリューはそっとキラを見下ろした。
本当に、得体の知れない…否、不思議な少年だと思う。その身体能力の程度の高さはヘリオポリスで見ているとは言え、一度も訓練すら受けずにOSを書き換え、MS―それも今の地球軍の総力を込めたストライクを動かしてしまうなど、本当にできることなのか今でも疑念が消えない。キラ・ヤマトは真実民間人なのだろうし、戦争に関しては全くの素人であることは理解しているつもりなのだけれど。 奪取して直ぐに実践に投入してきたザフトの紅のエリート達でさえ、その技術はアカデミーで養ったものだと聞いている。ならば、この少年の力は、どこから。 考えても、当人がこの状態では答えなど見つからないし話してももらえないと分かっていて、それでもキラを見れば考えずにはおれなかった。ただ優秀すぎるだけでなく、この奇怪な呼吸喪失も、全てがキラ・ヤマトは理解の超えた存在なのだと言っているような気がしてくる。 そっと手を伸ばして、小刻みに上下するキラの柔らかな鳶色の髪を梳く。額に張り付いているそれを横に垂らしてやりながらその苦悶の表情を見つめていると、何の前触れも無く医務室の通信機器が受信音を鳴らした。 マリューは静かにベッドから離れて通信を取ると、僅かに眉を顰めながら二言三言頷き、すぐに通信を切った。艦長と云う立場上役目の多い彼女が、いつまでもキラを見舞っていることなど出来ない。 「私はブリッジへ戻るけれど、貴方たちはキラ君をお願いね」 「……」 何も応えない少年たちの、了承の意は空気から確信できた。けれど、キラが何の前触れも無くこうなってしまった、その原因はAAが彼を引きずり出した戦場にあると思っているようだ。誤解だ、と言いたくてもその術は無い。マリューは彼らに聞こえないように小さく息を落とすと、物音一つ立てないように、静かに医務室を出て行った。 何処か独りで、声を上げて泣きたい気分だった。
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