Limited lovers −限界宣言ー




16.conflict









「絶対に、死なないでください」


 そう、ラクスは何度も繰り返した。
 真夜中に医務室を抜け出して、キラがラクスを迎えに行った折。
 共に人目を忍んで通路を抜け、ドックへと足を踏み入れた折。
 その度に何かを言いかけてじっとキラの瞳を見据えるものの、その都度それは力なく下ろされ、そして同じ言葉を呟いた。
 

「大丈夫だよ。EVIDENCEを君一人きりには絶対にしない」

 そしてキラは、優しく同じ言葉をラクスに繰り返す。
 一人だという寂しさは誰よりも身にしみている。
 そこから救ってくれたのはアスランだし、真実彼がいなければキラは今此処にはいないだろう。
 だがそのアスランでさえ、キラの孤独を完全に取り除くことはできない。
 所詮は彼すらも、キラとは別の種でしかない。

 おなじものである、という実感は、慣れないながらにけれど着実に、キラの中で育ちつつあった。
 自分と全くおなじものはいないのだというのがこれまでの世界だったけれど、それを緩やかに眼前の少女は壊していく。

 キラはラクスを後ろ手に引きながら、その自らの心境の変化を不思議な心持で眺めていた。

 自分はひとりではない。
 SEEDが無ければどんなに小さく無益な生物すら殺すことに禁忌を感じるのだと、訴える本能を理解してくれる人がいる。
 それは正に青天の霹靂であったし、けれど同時にひとりではないのだという事実を完全に認めてしまうことが怖くて、まだこれまでの常識の世界から足を踏み出すことができずにいた。

 齎された新たな事実。
 EVIDENCE特有の『覚醒』を起こした時に、生涯の伴侶と決めた人が傍らにいなければ自分は死んでしまうという。
 そう聞かされたときに咄嗟に思いついた彼を、恋い慕う心は確かに今存在する。

 けれど、自分の世界はもう彼一人を必要としているのではない。
 確かにアスランがいなければ、SEEDがなくては自分は生きられないけれど、今の自分にはラクス、という同じものがいる。
 それは僅かな寂しさをキラに齎したけれど、同時にこれまで抱いてきた圧倒的な孤独を自覚させた。
 そして前を急ぎながら途中静かにラクスを振り返るたび、その孤独が過去になっていくのだと自分に言い聞かせる。

 もう、自分の世界はアスランだけで閉じはしない。

 それはキラにとって大きく新しい一歩だった。
 けれどその中で、恋情の向かう先としてアスランを求める心は、また違う形でキラの中で居場所を作り上げていた。

 もうキラの孤独は、アスランだけでは埋められなくなる。

 それでも、誰が一番大切で、誰が一番欲しいのかと聞かれれば、キラは迷いなく彼と答えるだろう。
 『覚醒』によって死なないための手段ではなく。
 誰かと命を賭けて共に居るのだとしたら彼がいいと、落ちてきた実感に逆らうつもりは僅かもない。

 けれど彼は、自分が相対する場所にいる。

 自分が剣を向け、トリガーを引く先にアスランがいる。
 それはこれまでにも幾度となく、キラを襲ってきた痛みだ。
 だがそれを背負おうと決意するだけの理由が、AAにはあるのだ。

 AAを離れたくはない。
 だが、向こう側には、ザフトには、ブラントには。


 アスランがいる。…そして、ラクスも。



「…どうせ戦場に行くなら、最初からザフトに入ればよかったかな」


 ぽつり胸の内だけで呟いたつもりだったそれは、けれど気付けば音にしてしまっていた。

 AAの仲間の前では決して、念頭にも上らない。彼らを護りたいと思う気持ちは真実だけれど、それでも、感じる孤独を決意は癒さない。

 前を行くキラが落としたそれを、けれどラクスは正確に聞きとめたらしい。
 忙しく送っていた足を、その瞬間だけぴたりと止めてしまった。


「今からでも、遅くはありませんわ」


 反射的に振り返ると、けれどラクス自身も己の科白の身勝手さを承知しているのか、けっして顔を上げようとはしなかった。
 キラが昔月を発つ際に、ザフトへの入隊を打診されていたことを果たしてラクスは知っているのか。
 そもそもEVIDENCEそのものが戦闘行為を行うことの無謀さを、ラクスほど理解している人はいないというのに。

 例え属す陣営が変わったところで、キラの苦しみが変わることはない。
 殺す先がAAになるか愛しい幼馴染になるか。その違いがキラに痛みの差異を与えてはならない。
 たとえ片方は二年越しの友人達で、片方は生まれたときから世界を共有していた人と、世界で唯一の同一の存在だとしても。
 キラが向ける感情が違うからといって、その命の重みに差異が生じるわけではない。
 誰が持っていようと、命は一人に同じひとつでしかない。

 EVIDENCEにとって特別なのは、『覚醒』時に選んだ伴侶だけなのか。
 ラクスの言葉をふと思い出しながらキラがラクスを静かに見下ろしたとき、そうかとひとつの理解が訪れた。


 自分は、アスランを特別にしたいのだ。


 勿論、自分の中ではとっくに特別な存在になっている。
 彼がいなければ生きられないし、ラクスが現れる前までは本当に、彼だけがキラの世界で息づいていた。
 それでも、彼を特別に想うことをキラそのものが許さない。
 持つ命は等分にひとつだと、叫ぶ本能が彼を選んでAAに背を向けることを選択肢にすら入れはしない。
 背を向けることで失われる命を、僅かでもキラが護りたいと想う以上、護るしかキラに術はない。


「行こう」


 キラは何も言わず、再びラクスの手を取って通路を進む。

 余計なことを考えている暇はない。
 できるだけブリッジに見つからないようにストライクを発進させ、そして敵艦隊からアスランを呼び出さなければならない。
 完全に見つからないとは思っていないし、当然ただでは済まないだろうが、これ以上ラクスを此処に置いておくことは出来ない。
 ラクスはコーディネイターではないけれど、ナチュラルにとっては自らの劣等心を仰ぎたてる敵でしかない。

 そしてまた、病み上がりにSEEDを多分に摂取してなんとか支えているこの身体にも、薬だけでは補いきれない限界がある。


 ラクスは、自分を特別に想ってくれている。
 それが分かるからこそ、キラはラクスに何も言えなかった。
 ラクスには、キラのアスランのように世界を共有してくれる人がいなかったのかもしれない。
 もし居たとしても、EVIDENCEでは無いだろう。
 ならば初めて出会った自らと同一のキラと、共に居たいと思うのも当然のことだ。
 だがそれは、ラクスはAAクルーのことを知らないからでしかない。
 キラが命を張ってでも彼らを護ろうとしているのはラクスも知っているが、それはあくまで間接的だ。
 ラクス自身はキラと一緒に、プラントに帰りたいと想ってくれている。

 それは、とてもとても嬉しいことだ。


 だが代わりに失われる多くの命のことを思えば、キラは喜んではいけないし、ラクスも口に出してはいけないことだった。


 ヒトでありながらEVIDENCEであろうとする。
 否、あらねばならないその矛盾は、時に自らに圧倒的な嫌悪を連れてくる。
 だがそれをうまく処理することもできないまま、結局は世界から切り離されたような孤独を味わうしかない。

 たとえそれが、EVIDENCE同士だとしても。
 結局は互いを特別に思えない、他人でしかないのだから。


「絶対に、死なないでください」


 結局ラクスはまた、全てを飲み込んで同じ言葉を繰り返す。
 キラは先を見据えながら、それに静かに首肯で返して歩を進め続ける。
 


 結局ドックの入り口でサイに見つかって、やはり一人では相当時間のかかるカタパルト系の接続を手伝ってもらった。
 ラクスを返したいのだと説得すれば、俺も同感だ、と二つ返事で協力を申し出てくれて。

 先程の戦闘で、ラクスを人質に取らなければ確かにAAは沈められていた。
 けれどそれでも、卑怯な手だと唾棄する感情が胸の内で煮えている。

 そのような軍に身を投じているわけではないのだと、アスランに大声で叫びたかった。


「お前は帰ってくるよな」と、コックピットが閉まる瞬間に確認するように問いかけられた。

 同じ問いを心でもう一度己に繰り返して、迷いが何処にも無いことに安堵する。

 頷いたその表情を、サイはしっかり見てくれただろうか。

 確かにアスランと切り結びたくはないし、ラクスを害するのは絶対に嫌だ。

 けれどそれと同じ強さで、サイやトール達を護りたいと想う。
 自分が盾になることで護れるなら、その為にいくらでも立とうと思う。



 
 真空に投げ出された後、バーニアを噴かす前に一度振り返る。

 其処には、眠るように動きを止めたAAが、ゆったりと闇に浮いていて。

 此処に帰ってくるのだと、もう一度自分に言い聞かせた。





「大丈夫だよ。アスランなら、僕達のことを分かってくれる」

 それが卑怯な言葉だと分かっていても、紡ぐのをやめることはできなかった。
 ラクスはアスランを、自分ほどにはよく知らないだろう。

 彼女がまがりなりにもそばにいて欲しいと願っているのは自分だし、けれどそれが願うことすらならないことだと分かっているから、せめてとばかりに情報を与え、そして薬を差し出してくれた。
 その恩にこれで報いられるとは思えないけれど、自らの代わりとアスランの名を紡ぎながら、決して代わりにはなれないことも分かっていた。

 それでも誰かと思案すれば、アスランの名前しか出てこない。
 自分達と同じ孤独か、もしかしたら今はそれ以上の寂しさを、一人で生きているのを知っているから。


 ラクスは、自らの表情を覗き込まれるのを恐れるかのように、頑なにキラから顔を背けたまま肩を震わせている。
 それが何を意味しているのか、キラには分かるようで分からなかった。


 成すべきことをしなければならない。
 キラは回線をザフトに合わせ、そのままラクスをザフトに送り返したい旨をはっきりと述べる。
 その瞬間にもラクスはまた全身を震わせたが、それがキラの紡いだ言葉の所為なのか、単にラクスが沈んでいた物思いの所為なのかキラには判別がつかなかった。
 イージスのパイロットが単機で来ることを条件に出して回線を閉じると、またストライクのコックピットには奇妙な沈黙が戻ってきた。


「今度はゆっくりと、話ができるといいね」


 再会を楽しみにする以外に、キラにできることがあるだろうか。
 立つ陣営だけを鑑みるならキラとラクスは明確に相対するしかない。
 だがそれを、受け入れることはできなかった。


「キラは、アスランを諦めたりはなさらないのですね…」

「え?」

 突然向けられた言葉に、何と言えばよいのか分からなくて疑問で返す。

「アスランは敵なのだと、受け入れることはできないのでしょう?」

「…無理だ」

 今はアスランと護るべきものが違う。
 だから立ち居地を異にしてしまっているが、いつか必ず共に肩を並べられると、信じなければ明日が見えなくなってしまう。


 キラが呟いた瞬間、ラクスは勢い良くキラの膝の上で身体を反転させて、そしてキラに正面から向き直った。

「私たちは伴侶が無ければ生きられません。ですが、キラが仰ったとおり、それを誰が真摯に受け止めてくれるのでしょう!アスランの隣に並ぶべき存在は、既に定められています、あの狂った研究所が、何もかも決めてしまった…!」




 ですから私には貴方しかいないのです、と。
 本能とも恋情とも言えぬラクスの小さな告白を、けれどキラの理性は何も聞いてはいなかった。



 アスランの傍ら。そこに自分以外が立つという姿を、想像すらできなかった。












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