Limited lovers −限界宣言ー




13.retrospect









 あれは、何時の日の昼休みだったろうか。いつもは二人きりでキラの母親が作ってくれた弁当を食べ、そして食後に『薬』を済ませ…残りの時間を何処か、誰にも見つからない場所で鬼の居ないかくれんぼでもしているかのように身を寄せ合って過ごしていたのに。

 そうして昼休みに毎日のように外で遊んでいたなんて、後にも先にもあの一年だけだったように思う。キラとアスラン、その二人の間にこそ入り込めなかったものの、一人の、こういっては何だが普通の第二世代のコーディネイターが、これまでキラとアスランが二人だけで居ることを誰しもが遠巻きに見ていたその壁を難なく打ち破って見せたのだ。彼はアスランともキラとも、そしてクラスのどの人たちとも平等に仲が良かった。勿論良く一緒に遊ぶ友達なども居たには居たが、彼らと遊ぶときにでも屈託無くキラとアスランを誘ってくれた。そのお陰で、二人は珍しく、クラスの中に溶け込んでドッチボールやサッカーを毎日楽しむことが出来たのだ。勿論、ずば抜けて運動神経の良い二人のこと、どれだけ力をセーブしたところで、二人が決して同じチームにはならないようにされてしまったが。

 そう、それは、そうして弁当を食べ終わった後、いつものようにクラスメイトの何人かでサッカーをしていた時だった。

 其の日は昼休み直前の授業が長引いて、皆大急ぎで弁当を食べた。誰しもが一分でも一秒でも早くサッカーを始めたかったし、また校庭の限られたスペースの中でサッカーをする場所を確保しようと思ったら、どうしても他のクラスや学年より早く行かなくてはならない。それに其の日は運の悪いことに、隣のクラスと試合の約束をしている日でもあったのだ。そんな不運や切羽詰った事情が重なった所為で、キラとアスランはうっかり『薬』を忘れてしまった。いつもならトイレにさっと行って済ますのだけれど本当にうっかりとしか言えないほど失念していて。下駄箱で靴を履き替える時にアスランが気付いたけれど、その一回を忘れたくらいで何かとんでもないことが起きるなんて、二人ともまるで信じていなかった。

 大急ぎで出て行った校庭では、もう隣のクラスの人たちがサッカーボールを抱えて待っていてくれた。遅いっと飛んでくる文句にごめんっと口々に謝って、それぞれが申し合わせたようにボジションに着く。其の日ばかりはキラとアスランは同じチームだった。けれど隣のクラスには、アスランとキラのように幼馴染で、そして二人してとても小さな頃からサッカーをしている所謂サッカー少年がいた。彼らのコンビネーションはこれまでその学年はおろか、学校中の誰にも突破されたことが無いというので有名で、この日は密かに、そのプレイを破ってやるぞという気概に二人は燃えていた。そうして試合は開始され、どちらにも点が入ることなく昼休みの半分が過ぎて。

 いつしか周りにはギャラリーが増え、相手チームの件の少年の一人がドリブルをしながら此方に向かってくるのを、アスランが食い止めようとした時だった。さすがにアスランを鮮やかに抜き去ることは出来なかったのか、二人はボールを間に挟んだままお互いにボールを自分のものにしようと抗った。その時キラは、アスランがボールを奪ったら直ぐにパスを貰えるように少し離れたところに居たから、よく見ることはできなかった。アスランの運動神経も、その子の長年のサッカー経験も流石のもので、信じられないくらい長く二人はボールの奪い合いをしていた。けれど、突然観衆の誰かがあっ!と叫んだのと同時に、相手の子は自らの足元のボールに躓いて転び、更にその体をアスランが思いっきり蹴飛ばす形になってしまった。

 次の瞬間にその少年は呻き、蹴られた場所を庇いながら地面に倒れこんだ。一瞬にしてその場は沈黙が降りた。当然、誰もがアスランがその子の安否を気遣い、蹴ってしまったことを詫びると思っていた。

 けれど、そうはならなかった。

 今でもキラは、その時のアスランの『発作』の原因が分からない。アスラン自身も、そして研究者の人たちも結局分かることはできなかった。其の日、確かに昼の『薬』は怠ってしまったけれど、朝家を出る前には確かに互いに唇を合わせたし、その後キラに何か不調が起きることは無かった。アスランにだけ、SEEDにだけ反応する何かが、その一瞬に内包されていたとしか思えない。

 アスランの異変を感じたのは、アスランが次の行動に移った後だった。アスランは一回蹴りを入れてしまったその少年に詫びるどころか、もう二発、三発と蹴りを入れ続け、もうその頃にはキラがアスランの元に走り寄っていたのだが、アスランの瞳は常の深い翡翠の中に濃い闇を映し出して濁っており、それがキラの必至の呼びかけに振り返ることも無かった。アスランはひたすらその少年の腹部を蹴り付け、次に其処に馬乗りになって頭部を無茶苦茶に殴り倒した。もうその頃には女の子たちは余りに突然なことに悲鳴を上げながら校舎の方へと逃げ帰っており、またその中の誰かは先生を呼びに行っていた。けれど、アスランの奮う暴力の一発一発は、とてもその年頃の少年とは思えないほどに重く、また理性を欠いていた。呆然と突然変貌したアスランを見つめる二つのクラスの少年たちは、もうサッカーどころではなかった。誰もが、そこで闇雲に拳を振り上げている少年が日頃温厚なアスランと同一人物だとは信じられない様子だった。けれど何発か殴った後にとうとうその少年が動かなくなってしまった後、アスランはその狂気の宿った瞳でぐるりと周りを見渡した。キラを除くその周りに居た者全てが縮み上がった。アスランの最も近くに居たのはキラだったけれど、アスランが次の得物に決めたのはキラではなかった。けれどそれがキラをキラだと認識していたからでは無いことは、キラが一番分かっていた。アスランはただ、一番嬲り甲斐のある少年を選んだに過ぎなかった。

 キラがまだ呆然としている中で、二人目の犠牲者は抗う術など無く最初の数発の蹴りでその場に蹲った。アスランには容赦が無かった、まるで視界に映る全ての生けるものを許さないと言った風に、真実SEEDの『発作』とはそういうものであったから、アスランは次第にほんの二、三発で相手を気絶させ、動かなくさせ、そして次の得物へと標的を変えた。

 一分もしないうちに、其処は凄惨な地獄と化していた。ある者は気絶し、ある者は血を流して倒れこみ、大急ぎで駆けつけてきた先生も、その体格差の故に辛うじてまだアスランの獲物として選ばれていないと言うだけで、何も出来ずに只立ち尽くしているという点で殴られる順番待ちをしているに過ぎなかった。既に何人かは、運悪く事切れて居るものまでいた。

 キラが眼前の状態を正しく把握したのは、既にその校庭に十人ほどが倒れて動かなくなってからだった。そうして、その場を収拾できるのが、また自分しかないということも分かっていた。手当たり次第に殴り、蹴り飛ばし、石を投げつけては暗い陰惨な瞳で辺りを睨みつけるアスランに、キラは必至の想いで後ろから抱き締めた。

 勿論アスランは持てる力の全てで抗ったし、それはいくらEVIDENCEであるキラにしたところで対抗しきれるものではなかった。けれどキラは必至に縋りつき、何度かその拳や蹴りをその身に受けつつも、倒れようとする体を必至で起こして、なんとか、どうにかして、お互いの唇を合わせることに成功した。一瞬のうちに、無理矢理に自分の唾液を彼に送り込む。その後は、突然の接近に驚いたアスランに、只殴り飛ばされるしかできなかった。一瞬嗅いだアスランの周囲には、いつもと違う、あの何処よりもキラが安心できるアスランの匂いではなくて、一つの、血の生臭い匂いしかしなかったことを今でも鮮明に覚えている。

 それからゆるゆるとアスランが正気を取り戻したのは、もう数十秒後のことだった。まるで何かに憑かれていたかのようにぼうっとしてその倒れ、蹲るたくさんの人達の中に佇むアスランは、まるで御伽噺の中にしか登場しない鬼人か、はたまた悪魔のようだった。そんなことを、キラは決してアスランには言わなかったけれど。その時のぼうっと放心したアスランの表情も、そして人を殴り殺すときのアスランの、妙に口元の上がった笑みのような、また恐ろしく機械的な仕草も表情も、何一つキラは忘れることが出来なかった。

 その直後にアスランはお父さんの力で事件をもみ消され、何事も無かったように月へと引越しをした。その引越しと転校に当然のようにキラが付いて行くのを、不審に思うものも意義を唱えるものも無かった。

 それが、これまでに見た只一回の、アスランが、SEEDが『発作』を起こす姿だった。

 

 

冷たく、無表情に、只屠る為だけに相手を見つめる瞳。

 それがふと、唐突に。もうずっと思い返しもしていなかったのに、何の前触れも無く闇の中に現われ、そして。

 キラの存在を認めて、ふっと笑ったような気がした。

 それは、キラがキラであるからでなく。

 嬲り、痛めつけ、そして殺す相手を見つけたことへの、純粋な悦びでしかなかった。

 

 

 次にキラが目覚めたのは、いい加減見慣れてきたAAの医務室の中だった。まだぼんやりとする思考になんとか意識を傾けつつ周りを見渡せば、其処には心配そうに此方を覗き込んでくるミリアリアとトールの姿があって。キラが目覚めたことに気付いたのだろう、二人とも視線を交わしあい、そして安堵の溜息をついた。

「大丈夫?キラ。息苦しかったり、動悸が早かったり、気持ち悪かったりしない?」

 にっこりと多少無理をしているのがありありと分かる微笑を浮かべながら、それでもミリアリアが優しく訪ねてくる。その矢継ぎ早の質問にトールがおいおいと眉を顰めながら、けれど何も言わずに此方も気遣わしげにキラを見下ろした。キラはまだ自分の置かれている状況と体調がよく分からなかったから曖昧に二人に笑いかけ、それから自分なりに体の隅々に意識を向けた。

 そうしながら、先ほどの戦闘の状況をもう一度思い返す。最後の最後にストライクをハッチに沈めたところまでは覚えている。その前に意識を手放してしまえば、良くてアスランにザフトに連れて行かれ、悪ければそのまま其処へ置いていかれる。先遣隊を沈められ、偶然にも保護したラクス・クラインを人質に取るというとても人道的とは言いがたい行為の中で、ストライクを回収する余裕がAAにあったとは思えない。

 そうして先遣隊のことをふと思い返したとき、キラは微かにその表情を歪ませた。其処に乗り込んでいた、フレイの父親をはじめとする何百人のクルー達を一瞬にして亡き者にしてしまった敵。それは紛れも無く、親しく、懐かしく、そして愛しい幼馴染だ。そうして先遣隊を屠ったときのイージスの様子がまざまざと蘇ってきて、その中でアスランがどんな表情をしていたかなんて、決して想像したくなどないのに、キラにはそれが分かるような気がした。

 キラがあの場では『発作』を起こしたのでは無いように、アスランのそれもまたSEED特有の『発作』とは異なっていた。キラに比べれば薬を入手しやすい状況に居る彼が薬を切らす筈は無いし、キラとは異なって戦場に於いて有利に働くSEEDの『発作』を、けれど連合側に知られるのはザフトにとって都合がいいとは思えない。薬で働きを抑えた彼であっても紅を纏い、イージスを軽々と操る腕があるのだ。彼がその中で敢えて『発作』を起こす理由は無い。それに、自らが撃ち落した先遣隊の船が静かに沈んでいくのを見つめるなんて、『発作』を起こしているのならばするはずがない。『発作』を起こしたSEEDにとって、敵は、自分以外の全ての存在は、只消滅させることにしか意味を持たない。

 アスランは紛れも無く自分の意志であの艦を落としたのだ、ということに、キラは疑問を挟まなかった。アスランは兵士として、その手で人を殺したのだ。見たくなかった、と思う。『発作』であればよかったのに、と思う。例え彼が『発作』を起こしてしまえば、あの場に居るキラも含む全てのものが助からないと分かっていて尚、アスランが、正気のアスランが人を殺す瞬間など、見たくなかったと思ってしまう。

 それに、あの艦にはフレイの父親が乗っていたのだ。ストライクに伝わってきた、フレイの叫び声がまだ頭に残っているようだった。守るから、大丈夫だから、と約束した、それを果たすことが出来なかった。申し訳ない、と思う。薬さえあれば、と言った所で言い訳にしかならない。戦う術を持たないフレイの代わりに守ると、約して果たせなかったことに変わりは無い。

「フレイ、は…?」

 ふと声を出したキラに耳を寄せて、けれどその意味を解した途端にミリアリアもトールも苦い顔を隠しきれなかった。父親を失った彼女がまともな状態でいるだろうとは、キラも予測していなかったけれど。

「フレイは、今サイと一緒に居住区にいるわ」

「ちょっと錯乱してて…暴れてるんだ。心配かもしれないけど、キラは…会わない方が良い」

 暗に、フレイが相当にキラを詰っているのだろうと予測できる言葉だったけれど、キラは静かに頷いた。まだ体は本調子には程遠かったし、なによりこれ以上、自分が傷つくのが怖かった。約束を守れなかったのは自分の癖に何を、と思ったところで、自衛の本能は止められない。

「ごめん、ね…」

 それだけ、誰にともつかぬ呻き声のように、静かにキラは言葉を漏らした。ミリアリアが泣きそうな顔で、布団を整えてくれる。

 そうしながらも消耗し切った体は休息を求めていて、もう一度眠ろうと目を閉じたその瞬間、ひゅんっと甲高い音を立てて医務室の扉が開いた。

 反射的に瞳を開けたキラがゆっくりと視界を扉に向けると、そこには。

 

 髪を振り乱し、眼をこれ以上無いほどに開き、血走り。たった数時間見なかった間に別人のように変わり果てたフレイが、何の恐れ気もなく立ち、そして。

 キラの姿を認めた途端、何も言わず、ただ大股に其方へと近づいていった。

 

 その右手には、医務室の僅かな光と通路からの蛍光灯とで銀色に反射する、銀色のナイフが握られていた。

 

 誰かが、はっと息を呑んだ。















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