Sacred Evil 4
| もぞもぞと寝返りをうった体は壁にぴたりとくっついて、そのまま途切れる事無く思考は続いた。 布団から流れ出す長い鳶色の髪を無造作に掻き揚げながら、すっかり冴えてしまった瞳で天井を見上げ、静寂の中に眼を凝らす。 壁一枚を隔てた隣の部屋にはアスランがいる。 そう思うと出来うる限り壁に擦りよろうとする素直な自分がおかしくて、キラは冷たい壁にくっつきながら、この教会に辿り着いた経緯を思い出していた。 これまでずっと、敢えて思い出さないようにしてきた。 決して楽しい思い出などではないし、想起すればそれは、そのまま自分が人間ではないことを肯定することになる。 今更成ってしまった事を後悔するつもりは無いし、そのおかげでアスランに会えたのも事実だけれど。 抱き合って、熱を高めあって、そして。 無意識の内に湧いた更なる欲望に数微の違和も抱かなかった自分には、流石に嫌悪を覚えずにはいられなかった。 あの時人が尋ねてこなかったら、自分は。 ようやく会えた、恋焦がれ続けてきたアスランを、たった一夜の逢瀬のあの瞬間に。 彼の白い喉にこの白い牙を突き刺して、そして。 彼の地も肉も精気もその全てを、きっとこの浅ましい体は取り込んでいた。 そのことを想像しただけでも、理性を取り戻したキラの体は恐ろしさで震えるのに。 それでも行為の最中に感じた更なる快楽を求める欲望を、自らだけで制止できなかったのも、また事実で。 現に今キラの体は、中途で止められた快楽の続きを求め、放り出された熱を持て余して荒く肩で息をしている。 この壁を越えていけば、其処にはアスランがいる。 アスランはきっと抱きしめてくれるし、そしてあの力強い手で自らを抱いてくれるだろう、けれど。 そんなことをしてしまえば、また。自分は、彼を喰らいたいと願ってしまう。 (絶対に、それだけは………!!) 自分に決して許すことの出来ない最後の一線。 キラは囁く本能を敢えて聞かずに、頑として個室のベッドに自らを押さえつけ、決して立つまいと心に決めた。 彼が欲しいと強請る体はまるでマーキングのように壁に体を擦り付けるけれど、その動物的な行為ですら、今のキラには止めることが出来ない。 名残惜しそうなアスランの顔を避けるように視線を伏せて、別室を望み出たのはキラの方なのだから。 「あ、…あす、らん…ん…っっ!!」 今にも自慰に発展しそうなほどの半端な快楽を押し殺して、キラは必至に思考を別へ移そうとする。 これまでもこんなにも強く人を喰らいたいと願ったことは無い。 生きるために最小限の数だけはいくらでも口にしてきたし、今朝だって暫く食事が要らないようにと、健康そうな男を一人、その肉一切れすらも残さずに全て平らげてきたばかりなのに。 自分がいかにアスランを求めていたのか。 それを本能に今一度強く諭されているようで、いやいやと首を振りながらキラはシーツを強く握り締めた。 飲み下したアスランの精気の味が、今にも舌の上に蘇る。 これまでに口にしたどんな男の精気よりもまろやかで甘くおいしくて、そして食欲のそそられるあの味が…… とうとうキラは、自らを沈静化させる為だけに、これまでの生の中で最も過酷だった時期を反芻することに決めた。 決して思い出したくは無い過去の遺物。 もとは平凡な農民の娘だったキラが、男の血と肉と精気を求める、本能の塊のような怪物になった物語を。 キラは今より三百五十年ほど昔、アスランと同じ村で暮らしていた。 あの頃のアスランとキラはとても仲が良くて、いつか共に暮らそうと、そんな些細な夢を抱き合って幸福に日々を送っていた。 けれど、そんな平穏な毎日も、破られる時は本当にあっけなくて。 毎日の日課にしていた村の外れの礼拝堂で、キラはその日。 神の御使いと称する天使から、抗い難いお告げをその身に唐突に受けさせられた。 それから自分が何をしたのか。神に操られていたとも言えるあの状態での出来事を、けれどキラは今でもはっきりと思い出させる。 家族が居る、そしてアスランが居るという幸せの詰まった村をあっさりと棄てて、その時巨大な隣国と戦争をしていた祖国を救うため、単身首都に向かっていった。 キラが只の農民の娘なら、きっと戦地へ赴くことすら叶わなかった。 けれど神が乗っ取ったキラの精神はあまりに強靭で、いったい何が起きたのか、気付いた時にはキラの『聖女ジャンヌ=ダルク』というふたつ名は自国敵国問わず広まり、祖国の英雄になっていた。 どうして神はこんな国を救おうとしたのか、今でもキラは分からない。 本当にこの国に神が守るだけの価値があるのなら、キラが守ったこの国の王は、決して捨て駒のようにキラを切り棄てたりはしなかっただろう。 戦争の終結直前、敵国に囚われたキラに掛けられた法外な身代金を、あろうことかキラが命掛けで守った王は、あっさりと跳ね除けて戦争の勝利だけを手中に収めた。 一番の立役者であるキラの存在を切り棄てて勝利の美酒に酔う祖国とは対照的に。 囚われたキラは背徳者である魔女の汚名を着せられて。 裁判とは名ばかりの、終わりの見えない拷問に掛けられていた。 そしてその頃時を同じくして。 まるで用は済んだというように神の力もキラの中から消えていった。 途端取り戻した理性では自らの行いが信じられず、一国を救っておきながら自分というちっぽけな一人の人間すら救ってくれない神に、キラが疑念を抱かないことなどできなくて。 必至に魔女ではないと訴えた。 けれどそれは、とても聞き入れられるものではなかった。 小さい頃から一心に神を信じてきた。 なのに神に裏切られた、その現実はキラにとって、世界に裏切れたのと同義だった。 結わえ付けられた十字架の上で、足元から襲いあがる炎をゆっくりと見下ろしながら。 浮かび上がるのは、村に残してきたアスランの笑顔。 神などに誑かされて、約束した未来すら共に出来なくて。 本当に、申し訳なくて。 アスランから自分を引き離した神を恨み、自らの前に現れた天使を呪い、そしてもう一度会いたいと願った。 燃え尽きていく十字架の中で、己の肉が焼ける匂いと音を感じながら。 キラの願いは、聞き届けられた。 再び蘇った肉体は、老いを知らない悪魔の使い。 自らが伝承にも残るバンパイアになってしまったのだと気付いたのは、あまりに癒されない喉の渇きに耐え切れず、最初に男の生き血を啜った時。 キラの最初の犠牲者も、アスランに良く似た、濃い宵藍髪の持ち主だった。 その後訪れた故郷は、何ものかに襲われてあっけなく壊滅していた。 方々アスランを探し回ったけれど見つからず、そのうちに、生身の人間が生きているはずの無い程の年月が過ぎて。 とうとうキラはアスランに会えないまま、彼の生まれ変わりを待ち続けた。 老いない体を抱えながら、定期的に。 アスランに良く似た、翡翠の瞳や宵紺の髪を持つ男ばかりを襲い続けて。 決してアスランだけは食べるまいと、聖女でも悪鬼でもないキラ自身の意志の強さが、懸命に二つの血に逆らおうとする。 そうこうしている間に夜は明けて東の空は白み、どこからか可愛らしい鳥の鳴き声が聞こえて来た。 悪魔の支配する夜が終わり、キラを苛む本能の声も少しはかげりを見せ始めて。 ほっと息をついて真っ白に変色した指をシーツから離した頃、大地を揺るがすような咆哮が聞こえた。 またか、と。形良いキラの唇が舌打ちをする。 戦闘を好んだ聖女と本能で生きる悪鬼の混ざりあったキラの血は、人間にはあまりに刺激が強すぎて。 これまでキラが一晩以上留まった地の人間達は一人の例外もなく、凶暴性を増して何らかをしでかす傾向にあった。 いったい今回は何なんだ、と頭を抱えつつ、大分平常を取り戻した体に鞭を打ってベッドから立ち上がる。 あれだけ激しく抱かれたのに、腰に違和感すら残らない自分にはもう自嘲以外に向けるものが無い。 キラは手櫛で簡単に髪を整えると、目尻に残った涙の痕をぐいと拭いて。 そっと扉を押し開けて外に出た。 必ず起こる混乱は、けれどそれに乗じてキラが食事を摂るには都合が良くて。 躯に残る熱を収める為にも誰か食べようかと、キラはぼんやり思いながら手に手に武器を取って城へと攻めて行く、その人だかりの中に紛れ込んだ。 今回は反乱か、とそんなことを思いながら。 壁の向こうに、キラに精気を吸われた所為で深く眠り続ける、たった一人の例外を残して。 |
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