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同時に絶頂へ昇り上げた幸福の後。
ふと覗き合った瞳にアスランはいっそう鼓動が跳ねた。
自らでも信じられない程の欲望を放ったというのに、キラは女の華奢な体では信じられないほど、その表情に倦怠さも疲れも表してはいなかった。
あるのは、微笑すら浮かべているほころんだ口元と、未だ止め処なく溢れるのか、確かに己へ向けられている更なる欲望の色。
ごくりと喉が鳴る。
その視線に導かれるように更に腕を伸ばしてキラに触れる。
全身から立ち昇る色香はアスランを迎えて狂喜に舞い上がるようで、キラも嬉しそうにアスランの背に両手を回して体を引き寄せた。
どちらからともなく合わせられた唇。
伝う唾液に任せて互いに咥内をまさぐって、規則正しく並ぶ歯列をなぞりあった。
可愛らしい、特徴的な八重歯をアスランの舌が撫でる。
キラはどうしてか上あごのその二本の八重歯には特に敏感で、くまなく撫でれば撫でるほどキラの腰は断続的に震え、そして抱きしめる背は反りあがった。
アスランは、キラの素直で大きな反応が嬉しくて。
つい息も吸えないほど激しくキラを攻め立てた。
互いの表情が見えないに等しい至近距離だったけれど、合わせた瞳からは確かに劣情が伝えられて。
どんどんと胸を叩いてくるキラの拳に知らないフリをして、アスランは角度を変えて執拗にキラにキスを求め、あやすように十の指先で愛撫を与えた。
何かに捕えられ、堕ちていく感覚さえ見失うほど。
その行為の全ては酷くアスランにとって刺激的で、そして何処までも甘かった。
キラから流し込まれる体液の全て。
触れ合う汗の一粒一粒がアスランを狂わせていることは、キラさえも知らぬことで。
三百年以上も捜し求めた、その存在がこうして己を抱きしめてくれる。
想像さえも絶するその幸福に、キラは更なる高みを目指し、我も忘れて只アスランにしがみついては啼いた。
自分が何をしようとしているのか、その実体さえ掴めないほどキラを支配しているのは肉欲ばかりで、そしてそれはどこまでも際限がなく、だがそれがキラを戸惑わせることはなかった。
本能が命じるまま、至福を満たそうとキラはアスランに縋りつく。
二度目の絶頂に達しようとした瞬間。
だがそこでぷつりと、キラの何かが弾けて飛んだ。
三百年という生の中で嫌でも慣れてしまった人よりは遥かに敏感な感覚に、邪魔な雑音が交じり合ってキラの集中を阻害させる。
と同時に湧き上がった一抹の理性が、今自らがアスランにしようとしていた事を冷静に判断させた。
音を立てそうなほどに早く、キラの上気した頬から血の気が引いていく。
固まってしまったキラに訝しがって、未だ熱を湛えたままのアスランが揺れるアメジストを覗きこむ。
「どうした……?」
キラだけを見据えてくる真っ直ぐな翡翠の瞳に、あられもない自らの姿が映る。
言葉にならずに数度閉じては開くだけを繰り返したキラの口元からは。
誰も気付かないぐらいささやかに、けれど欲望の証のように大きく育ち、また鋭く尖る八重歯が見え隠れしていた。
その存在が示す先を、キラは今更のように思い知って。
「誰か、来る………」
やっとそれだけを切れ切れに言って。
キラは避けるようにアスランから瞳を反らした。
確かにそれは事実で、現にこの教会へと向かってくる足音がある。
けれどそれより優先すべき事項が生まれたキラは急変とも言えるよそよそしさですばやく辺りの服を拾い上げ、あっけにとられているアスランの前に一言を落とし、そして奥へと消えて行った。
「隠れてる、から」
ぱたぱたと小走りに響く、キラの素足が大理石を蹴る音には。
あんなにも激しく求め合った後とは信じられないほどの力強さがあって。
数秒呆けたアスランは、やっと思い出したように衣服を手にとって纏い始めた。
遠ざかっていったキラの裸体の、その艶かしさにすら興奮を覚える。
半端に残された熱が体の中心で疼くけれど、アスランは敢えて見知らぬ素振りで法衣を次々と巻き付ける。
最後にようやくマントを垂らして冠を被り、床の惨状を見ないように立ち上がったところで、機を計ったように表で来訪者を告げる声が上がった。
「アスランさま、アスランさま、」
トントンと叩かれる音に急かされて、足は自然速くなる。
咄嗟に込み上げたのは、今の今まで忘れていた背後の後ろめたさで。
教会の大きな木戸を開く前に、一度振り返ってもう一度眺めた。
ステンドグラスを通す月光しかないこの部屋の、奥の十字架前にある白濁など如何眼を凝らしても見えるものではない。
一つ息を吐き、視線を上げてキラが更に奥にある小部屋で身を隠していることを確認する。
「はい、今、開けます」
声を張り上げて返しながら、ぎいと響く扉を引いた。
立っていたのは、先ほどまでアスランが眼を向けていた焚き火を囲む男衆。
「会合の結果をお伝えします」
話し出した男の声の抑揚の無さに、どうしてかアスランの中で嫌な予感が沸き起こる。
会合の知らせを届けてくれるという事はまだ自分が市民の一人だと認められているということで、それは王家や貴族に愛想を付かしている今の自分には、ありがたい事でしかないのだけれど。
それ以上に、闇夜に照らされて佇む男達を包む空気の、得体が知れない。
「で、なんと……??」
おそるおそるアスランが尋ねる。
彼らを包む雰囲気は静かな様でもあり、しかし言い換えれば決意を秘めた獰猛な野獣が、牙を研ぎ澄まして待ち構えているようでもあった。
一言で言うならば、まるで今日の昼とは人が違う。
「明日、市民全員が城へ一斉蜂起します。こんな生活には、もう一日だって耐えられない」
また別の男が応えを返した。
彼らの人生を左右するその一大事を、やはり淡々とした声音が伝えてくる。抗議しようと口を開いたアスランより早く、次の声が耳に届いた。
「決定です。僧侶である貴方に抗争に参加しろとは言いませんが、絶対に止めよう等と思わないで下さい。これは民意です。そして、神と悪魔の意志でもある」
「神の御心を体現するならば、どうぞアスラン様も武器をお取りください」
「どういう、ことだ……?」
憚りなく神と悪魔を同列に並べる。
そのキリスト教への反抗ともとれる思考に驚きを覚え、そして神を持ち出した此れまでに無い心境の変化に、更に言葉を無くしてしまう。
何か劇的に彼らの決意を固めさせたものでもあったのだろうか。
しかし、これまで培ってきたはずのキリスト教精神を、彼らがたった一晩で覆すとは思えない。
「我等には神も悪魔も味方してくださる、そういうことです」
「それでは、大事な明日が控えていますので」
僧侶を名乗るアスランなどよりも彼らは自信を持って神を語る。
そこに劣等感などを覚える暇も無い程に彼らはそれだけを言って踵を返すと、戸口で見送るアスランに背を向け、それぞれの家へと別れていった。
夜の帳に静寂が戻ってようやく。
扉を閉めたアスランの頭にあったのは。
反乱、の二文字と。
早過ぎる、と思わずにはいられない彼らの性急さ。
そして不安を駆り立てる彼らの一挙一動と。
飛び込んできた十字架の元に飛翔する、逢瀬の名残とキラの存在。
アスランはかつかつと床を鳴らして十字架に近づくと、そっと飛び散る名残に苦笑を漏らした。
片付けなければならないと分かっているけれども、その前に。
アスランが生涯を誓ったはずの、大理石の十字架に向かい立って手を合わせ、そして十字を切った。
キラと神の御前で通じておいて、それでいて神に願う自分は誰よりも身勝手なのかもしれない。
けれど、教会の腐敗と世俗化が進んだ今日に於いて、城内に巣食う有力聖職者に代表される神の代弁者の中に、本当に神に操を立てている者など数えるほどしか存在しない。
そんなことを言い訳にするつもりはないし、第一今宵限りでアスランの一番はもう神ではないのだけれど、そんなことより。
只他に、祈る方法が見つからなかった。
これまでその身を預けてきた神の御意志を、信じてみようと思ったのかもしれない。
もしかしたら、当然のように神を語った市民への、あてつけが何処かにあったのかもしれない。
神が反乱を望むだろうか。
重税や圧制に対して武器と血で蜂起することを望むだろうか。
歴史の変革に乗じて、人の屍が転がることを望むだろうか。
彼らはこれが神の意志だと言った。
そしてまた、悪魔の意志だとも同じように言った。
そんなことを信じたくは無い。
だから、アスランはアスランの信じる神に祈りを捧げる。
己の力不足で止められなかった武力行使が、せめて。
出来うる限り最小限の被害で終わるようにと。
また、できるならば。
王に彼らの願いが聞き届けられればいいと、そう願いながら。
またしても、まるでぜんまい仕掛けの人形のように硬く話す、先ほどの男達の言葉が耳から離れない。
明確な言葉では表現できない。
けれどあの声を最初に聞いたときに抱いた何か悪い予感が、アスランの胸中を支配する。
アスランは今一度祈りを繰り返すと、そっと息を吐いて十字架を見据えた。
雨の日も晴れの日も、人の罪を背負い続ける憐れなキリスト。
アスランはおもむろに姿勢を正すと、彼以上に大切な人が出来てしまった詫びとして、一つ大きく頭を垂れた。
簡単に許されるとは思っていない。それでも、アスランなりのけじめのつけ方だった。
今から踵を返し、十字架に背を向けて。
キラの元へと、向かう為の。
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