Sacred Evil 2






 夜の帳が落ちてもまだ、街中には浮浪者が溢れきってなにやら独り言を呟いている。
 

 此処は王都。

 本来国中で最も栄えた地であるはずの街が、今や職を無くした浮浪者とその家族が飢えに苦しむばかりの廃墟寸前にまで成り下がっている。
 風が吹くたびに道行く人は破れ掛けた上着の前を重ねて背を丸め、ひとつふたつ罵倒を呟いてまた何処かへ歩いていく。
 おそらく宛てなど無いのだろう。
 今日も明日もその先も、待ち受ける生活は只苦しみでしかない。


 アスランは道の往来でひとつ盛大に溜息を付いて、しゃんと背筋を正して視界の先を見つめ直した。

 何処の家も貧しい。
 おかげで夜も深いというのに、見える明かりはアスランの視界の向く先にある一つだけだ。

 其処では、まだかろうじて「屈強な」と形容のできる都を代表する男達が、連日深夜焚き火を囲んで今の苦しい生活を打破すべき策を考えている。

 アスランは其れが気になって、その会合が開かれる時にはこうして、自らの住み屋の前から頭を付き合わせる男の背中を覗いている。


 ふと一迅の強い風が道を過っていったと思ったら、錆付いた油缶がカラカラと音を立ててアスランの眼前を転がっていく。

 気付けば辺りはすっかり静かで、うろついていた浮浪者達もどうやら今宵の寝床を見つけたらしい。


 意図無く自らの服に乗った埃を払おうと手を伸ばして、空中で強く拳が握られた。


 皆が王家の圧政に苦しんで一日ずつやっとの暮らしをしているというのに、自らの身なりの良さは何だというのだろう。

 白一色のマントと法衣にほつれや染みは一端として無く、ずるずると引きずって歩くその裾だけが、みすぼらしい地面と接してすぐに真っ黒に汚れていく。

 冠とマントに背負わされた大きな黄色の十字架が、アスランの身分を無言で誇示して止まない。

 アスランは伸ばしかけた腕を中途で下ろして、首を伸ばして自らの家の屋根を仰ぎ見た。

 正確には、更にその先。


 其処にあるのは、富める日も。貧しい日も。
 同じように街を見下ろす一本の十字架。


 続いて、アスランの視線は男達とは反対側。
 小高い丘の上に臨む、王達の住むヴェルサイユ宮殿を一瞥して。

 また、首を巡らせて男たちの背中から見え隠れする焚き火の方へと向き直った。


 アスランは僧侶。
 まだ年は若いが聖職者としての位は誰にも文句を言わせぬぐらいに高く。
 身分で言うなら、城で王に世辞を吐き続けて甘い汁を吸っている肥えた貴族等よりはよっぽど大きな権力を持っている。

 だがしかし、アスランは権力を望まなかった。

 僧侶仲間で権力を欲した輩を、アスランは何人も知っている。
 そして、彼らは決まってその地位と権力と名声を駆使して、誰よりも身勝手で都合の良い生活を送っているのだ。
 仮にも、聖職者という地位に就き続けながらも。


 その自堕落な生活に恐怖を覚えたアスランは、自らもその快楽の波に飲まれてしまう前に、城の生活を捨てて王都に小さな教会を立てた。

 それが、今アスランの背後に構えるこじんまりとした品の良いアスランの教会。


 今は闇に包まれていて良くは見えないが、中は過ぎるほどにさっぱりとしていて祭壇に捧げてある花々もどこか心許無い。
 王都が荒れるに従って次第に信仰の余裕を無くしていった市民たちは、だんだんと教会から足遠くなっていった。
 だがそれは仕方の無いことと、今は一秒の合間さえも生きることに必至な人々の為に、アスランは少しずつ教会内の供物聖物の類を市民に分け与えて過ごしている。

 国中から絞れるだけ搾り取った税金で贅沢三昧している王とその側近が、それでもその税の一部で毎月送ってくる新品の法衣に、袖を通さねばならないことは苦痛と躊躇を引き出してやまない。
 どれだけ市民に寄り添って生きてはいても、自分は身分が違うのだと、そう言われているようで。


 けれども、今焚き火を囲んで纏まりつつある現状生活の打開策をアスランが一人反対し続けているのは決して。
 その策が現実のものとなれば、アスランの僧侶としての高い地位が脅かされることになるからではない。
 
 そのような自己優先的な思考は、城を出る時に全て綺麗に消し去ってきた。


 今まで此方に背を向けて会合に没頭していた男の一人が、何気なく体を回してアスランの方を見遣る。

そして、暗がりの中でもはっきりと分かるほどに焚き火に赤々と照らされながら。

 怪訝そうな顔をして。
 それでも追い払うことも腰を浮かすこともせず、瞬間だけアスランと視線を交差させてまた体を火へと向けた。


 打開策があの深夜の会合で纏まりかけているのを聞いた時、何になったのだとアスランが尋ねたのはたしかあの男だった。

 聞いた途端に迷い無く反対したアスランを、あの男は探るような目つきで睨んできた。


 誤解されてもしかたがない。
 それだけ高い位にアスランはいる。


 けれど、アスランは反対しないわけにはいかなかった。

 例えそのために、折角築き上げてきた市民の皆との関係が塵となるまで崩れようと、絶対。

 それでもまだ、今はこうして黙認を続けてくれる、その皮一枚に薄くなった絆に掛けてでも。


 僧侶として、そしてアスラン・ザラ個人として。


 その選択は、選んではいけないものだと思うから。


 王家に反旗を翻して、王宮を攻め、市民暴動を起こすだなんて、そんなこと。

 血を流す市民が、苦しむ結果にしかならないのに。












「アスラン!!!」


 不意に大声で後ろから名を呼ばれて、アスランは反射的に振り向いた。

 自然焚き火を背に回してしまい、視界が一気に闇に染まって虚ろになる。

 けれど、その中の、至近距離に。


 月の光に美しい泣き笑いを照らされた、見たことも無い少女が…いた。


「アスラン!!!」


 少女の姿を視界に納めた瞬間、何かに縛られたように動けなくなって。
 視線さえ、彼女の艶かしく光る紫紺の瞳から離せなくなった。

 正面から見据える少女の大きな瞳に、また新たな涙がせり上がる。


「アスラン…!!」


 体を預けられて首に回された腕は驚くほどに軽くて、知りもしない娘と抱擁を交わしているというのに、いつしかアスランはその腰に自らの腕を回していた。


 思考が眼前の彼女で占められて、ものが上手く考えられない。


 首筋を、彼女の鳶色で腰まである艶やかな髪が通り過ぎてくすぐったさを覚え、そっと離れた肩の重みにアスランが姿勢をずらせば、視線が、絡んで。


 触れた互いの唇に、焚き火の存在はアスランの頭から消え去ってしまった。


 
 何度も角度を変え、求め合って舌を絡ませる。
 時折離れて息継ぎをする間に、少女は潤ませた瞳を細めて、本当に嬉しそうに。

 「やっと、会えた……」

 呟いて、また。
 アスランの咥内の深い深いところまで、何かを求めるように舌を伸ばした。



 「中に」

 腰を抱き合い、口付けを交わしながら。
 
 それでも、アスランの脳裏に最後残った理性が今居る場所を確認させた。
 己が聖職者であるという事実を何処かへ置き忘れたかのように娘との逢瀬に興じているアスランに罪の意識は掻き消えていて、祭壇に十字架とイエス・キリストの祭られる聖堂にほら、と娘を招きいれた。


 彼女の体が、少し強張ったけれど、それは緊張という名で片付けられそうなほど些細でしかなくて。

 拒んでいるとは到底思えない、寧ろ逆とも言えるその仕草に、アスランは漂う色香に飲まれてしまわないように必死に彼女を床へと押し倒した。


 全身をまさぐる両手を性急だと留める者は無く、恍惚の表情を色濃く乗せる深いアメジストに魅せられて、何度もキスを贈れば、その度に。

 桜色に色づく形良い唇から、ひっきりなしに「アスラン」いう形の喘ぎが漏れた。


 「名前、は……??」


 最初に聞いておけばよかったと、場違いな質問にすまないと思いつつ。
 アスランは彼女の胸の突起を咥えながら言葉を発する。

 過ぎる快感に喉を通る振動が言葉にならないのか、意味を持たない喘ぎばかりが彼女の全身を彩っていて。

 あまりに敏感なその躯に、アスランは自身の喉が鳴ったのを感じた。


 会った瞬間から彼女しか見えていなくて、纏っているものなど眼中に無かったけれど、いざ剥がそうと視線を落せば、それは古めかしい凝ったデザインの漆黒のロングドレスで。

 胸に刺繍で施されている精巧な一輪の深紅の薔薇が、まるで彼女を見た瞬間の、漆黒の闇の中に佇む彼女自身のようだと、そんなことが脳裏を掠めて。


 けれど手袋からハイヒールまで黒で統一したそのどれもは、彼女の妖しく光るアメジストと、長く美しい鳶色の髪と。そして何より彼女自身に良く似合っていた。


「キ、ラ……」


「え?」


 与えられる快感に慣れてきたのか、彼女が何事かを口走る。けれど、下腹部を重点的に舐めまわしていたアスランには、辺りの水音しか、聞こえなくて。

 聞き返すと同時に上げた視界から見る彼女はいっそう官能的で、細身だが何処か男を魅せるようなラインを描く曲線に、視線が奪われそうになって慌てて自戒してアメジストに交じらわせる。

 止まった愛撫の所為で、彼女がむずかるように身をくねらせて。


「ぼくの、なまえ…… キ、ラ…」


 切れ切れになりながら響いた音に、アスランが綺麗な笑みを浮かべて。

 「そうか、」と頷いた。


 「キラ」
 
 続いて紡がれた音に、キラはほんの少し眼を見開いて。
 次の瞬間には、嬉しさだけで涙を幾つも垂らしてしまったから。
 アスランはその反応に驚きつつも、つい悪戯心が湧きあがって、刺激の止まっていた茂みに、おもむろに指を這わせてキラに微笑んだ。



「アスラ…!!」


 上がった嬌声に全身の熱が逆流を始める。

 程なくして繋がった二つの体に、アスランは。


 己を知っているように振舞うキラと、何も知らない己とのかみ合わない二つに、沢山の接点ができるように、何度も。

 打ち付けては引いて穿って、絶え間無くアスランの名を呼び続けるキラに、そっと心中で。


 持ちえ無い過去の分を取り戻すように、これから未来を共に過ごそうと、誓った。




















再録していて気付く。…あ、これ18禁かもしれない(まあいいか)

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