怠惰と惰性と性欲と
6.公私混同甚だしい
| 突然会いに行って、どんな反応をされるのか分からなくて。 けれど只会って一緒に帰ってくるだけでは、何も意味が無いことも分かっていた。 「昼休みに迎えに行くから、仕事終わらせておいてね」 仕事を放り出して会いに行ったりなどして、呆れられたり嫌がられたりしないかと思ったけれど、連絡無しで行くわけにはいかない。そもそもキラが到着するまでの3時間と少しで、アスランは取引先と仕事を終えて貰わなくてはならないのだ。何故キラが行くのかだとか、どうして突然の期日が決められたのかだとか。アスランが突っ込みたいところは満載だろうと思ったけれど、考えた末にキラが送れたのは至極簡潔な一文のメイルだった。 送信完了、の文字を見て一つ溜息をついて。ホームで電光掲示板を見上げて、そろそろ特急が来るな、と考えた瞬間掌の中が振動した。反射的にそれを覗き込めば、今送ったばかりの人からの信じられないほどの速さで返信が来ていて。 きっと、思った通りのことが書いてあるんだろうと思った。 「いったいどうしたんだ?」とか、 「どうしてキラがわざわざ来るんだ?」とか、 「何かそっちで問題でも起きたのか?」だとか。 何も言うほど変わったこととか問題が起きているわけじゃないし、どうしてキラが3時間もかけてアスランを迎えに行くのかなんて、気軽に文章に出来るわけが無い。 普通に考えて、キラが行くのは馬鹿だ。公私混同甚だしいし、現にキラは分かっていてその事実に甘えようとしている。だからこそ、アスランからのメイルを見たら、行く勇気なんてあっけなく霧散してしまうような気がした。 キラは数秒、自分のモバイルを見つめて。とっくに振動の止まったそれを、鞄の中に押し込んだ。 アスランが隣に居ないのは、滅多にある事じゃないけれど別に初めてのことでは無い。そうしてアスランが部屋に帰ってこない間どう生活していたのか、キラは懸命に思い出そうとしていた。 確か前にアスランがいなかったのは、半年ほど前の製品開発の繁忙期で、アスランが4日か5日ほど、会社で寝泊まりしていた時のことだ。その時は別に会社に行けば姿を見る事が出来たわけだから完全に別の暮らしをしていたわけじゃないけれど、会話はおろかメイルすら遣り取りした覚えは無い。 その間キラは特別に忙しいというわけではなく、至って普通の生活をしていた。アスランの帰ってこない部屋に帰り、一人で夕食を摂っていたと思う。勿論時間は持て余しただろう。その間に何をしていたんだっけと考えて、買ったばかりの携帯ゲームをずっとやっていて、丁度アスランの繁忙期が明ける頃に、全クリしたのだったと思いだした。 今のキラの精神状態からは考えられないほど、キラはキラで自由な時間を過ごしている。 そこまで思い出して、はたとキラは手を止めた。それまでほぼ機械的に繰り返していた仕事関係のメイル送信をぴたりと止めて、ぼんやりと虚空を見る。 ああ、そうだ。 一言だけ。たった一言だけ。あの死んでしまいそうな忙しさの中で、自分達は会話をした。 昼休みなど関係なくパソコンと睨みあっていたアスランがあまりに心配だったから、営業先からの帰り道に買ってきたカフェのサンドウィッチを、思い付きでアスランに差し入れした時。 「これ完成したら、ご褒美はキラだからな」 唐突に腕を引かれて、耳に唇を寄せられて。他のみんなが働いているオフィスの中で、一言だけ。告げられた言葉に驚いてまじまじと見返したけれど、アスランは疲れ果てた顔をしているくせに、やけに楽しそうに笑っていた。 仕事中の、スーツを着ているような真昼間にそんなことを言われたから、キラは恥ずかしくて居たたまれなくて、何も言わずに自分のデスクに戻ったのだった。 けれど今思えば、あの一言が、キラを安定させていたように思う。アスランがキラをないがしろにしてしまうのは、忙しくて疲れていてどうしようもないからで、本意では無いのだと。そうして我武者羅に頑張った後に何が欲しいのか、あまりに嬉しい言葉を明確にされてしまったから。おとなしく、そしてこっそりと楽しみに、アスランの繁忙期が終わるのを待っていられた。そうなのではないか。 だとしたら、自分は。 今もまだキラは、アスランに会った時、自分が何を思うのか分からなかった。見当もつかなかった。刻一刻とアスランに会う時は迫って来ていて、キラはどうして自分が来てしまったのか、説明しなければならなくなるのに。 ともかくアスランがいなくなってキラが分かったことは、結局。 マンネリかもしれなくても、惰性かもしれなくても。それでも自分は、アスランを好きなのだという事。 ずるずると怠惰に抱かれているのでは、全く足らない。そんな関係は、要らないとすら思ってしまう。 いつもいつも焦がれて、もしかしたらこの瞬間のために生まれてきたのではないかと思えるくらい、気持ち良くされていたい。 だからこそ、体を重ねる理由を、習慣に頼るのは嫌なのだ。 かろうじてメイルを送り終わったパソコンを閉じて、ふうと眼を閉じる。 もうあと、一時間も無いだろうか。腕時計を見下ろして、全身の力を故意に抜いた。 どうしてアスランは、毎週毎週馬鹿みたいに同じタイミングで、キラを腕の中に仕舞い込みたがったのだろう。 アスランの中の恋情が、習慣に頼らないと頭をもたげないくらい、粗末なものだとしても。 それでも、そんな形は嫌なのだと。告げてみるしか術は無い。 *―* アスランが居る筈の、取引先の本社ビルの前にキラが立ったのは。昼休みが始まるだろう時刻から、十五分程が過ぎていた。 妙に律義な彼の事だから、おそらく準備は終わっているだろうと思う。けれど、大きなビルの何処に居るのかは、全く見当が付かなくて。 仕方なしに鞄からモバイルを取り出す。開けば、新着メイルがあることが大きく表示されるが、その一件は見ないと決めたものだ。無視して、その送り主に通話を掛ける。 コール二回。理想的な素早さで電話口に出た彼の声は、気の所為じゃなければ、聊か緊張しているような気がした。聞いたことの無い声だ、と直感的に感じる。 けれど自分の声の方が、もっとみっともなく震えているのが分かったから。何も言わずに来訪を告げると、アスランは一瞬の間を置いて、「わかった」と返した。 正面入り口のすぐ外に居るんだけど、と場所を教える。そうしたら今度は一拍すら置かず、「五分で行く」と一方的に告げられ、通話を切られた。 ツーツー、と無機質な音を立てるモバイルを片手で握る。其れを閉じて、もう一度鞄に仕舞い込んだ。なんだか、リズムが狂う。 アスランは、一緒に居て気兼ねしない。まるで空気のような、家族のような、使い慣れたモバイルのような、そんな存在だったはずなのに。アスランが何を考えているのか、全く分からなかった。 暫く、キラは其処で待った。何分立っていたのかを詳細に考えていたわけではないが、確かに僅かの空白を置いて、アスランはエントランスのガラスの向こうに現われた。 些細な人影に過ぎない段階で既にキラはアスランを見分けることか出来ていたから、変に凝視しないように、自分でもわざとらしいと笑ってしまいそうなほど不自然に、あちらこちらと視線を彷徨わせた。手持無沙汰を装って、何も入っていないと知っているポケットの中を探る。 「キラ」 暫くそんな馬鹿なことを続けていたら、案の定、名を呼ばれた。 反射的に視線を上げれば、三、四歩程の距離を置いて、充分にこれまで見知ってきたはずの、誰よりも愛しい存在が立って此方を向いている。 「アスラン…」 名を呼んだのは無意識だった。アスランは、月曜日にキラが見送ったままの恰好をしていた。いつもより大きな鞄を軽々と片手で持っている。そうして胸元には、キラが土曜日に選んだばかりの、ネクタイが締められている。 「あ…」 その姿をよくよく見た瞬間、キラは結局のところ自分が、アスランに何を言いたかったのかを理解した。つまりこの一言を言う為に、自分は長い時間を掛けて此処に遣って来たのだ。 「来て」 けれどすぐには言えなくて、アスランの空いている方の手を自分の空いている手で掴む。無造作な形で手を繋いだまま、キラはどんどんと駅の方へと歩を進めた。 アスランは一瞬訝しげな眼をしたけれど、否やを言うことなくされるがままになっている。キラは、人がいない所を探した。けれど平日の昼間だというのに、公園も、ショッピングモールの一角も、道路だって完全に人がいない状態にはならない。ずんずんと歩いているうちにキラはだんだんと訳が分からなくなって来て、言いたい言葉がどんどんとキラの中で膨らんできて、我慢が効かなくなってきた。 ショッピングモールを抜けて、駅に隣接するファッションビルの4階。カルチャースクールと英会話教室が入っているらしいその階のエレベーターホールは、人の気配はするものの、辛うじて、視界の中には誰もいなくて。 久しぶりに足を止めて、くるりと振り返る。と其処に在ったのは、精神が飽和して泣き出しそうになっているキラを慰めようとしたのか、僅かに微笑むアスランで。 ぐいとその胸元を引きよせて、同時に背を伸ばして唇をアスランの耳元に寄せる。 「きみが、ほしいよ」 伝えた瞬間。今度はキラが、アスランに腕を掴まれて引かれていた。 有無を言わせない強さで歩くアスランに、キラは何かを言うことすらできなくて。 只引かれているうちに、アスランが何処へ向かっているのかが自ずと知れて来た。 ファッションビル4階の、男子トイレ。 その一番奥の個室に投げるように放り込まれて、気付けばカタリと、錠が落ちる音が響いた。 勢いで便器にへたり込んでしまって見上げれば、酷く怒ったような顔をしたアスランと、思わぬ至近距離で目が合う。 「…キラ」 ぞくりとするような、聞き慣れているはずなのに聞きなれない低い音で名を呼ばれて、背筋が粟立つ。 反射的に顎を突き出せば、その意図を正しく理解されたらしく、指が添えられてアスランの唇が降りてくる。 噛みつかれたかと思うほどに、全然優しくないキスだった。 力任せに咥内を蹂躙されて、舌も唇も強く吸われて、歯列を余さず撫で上げられた。 けれどもどうしても、慣れないはずのそれが気持ち良くて堪らなくて、唇が離れる僅かの隙に、声が漏れるのを抑えられない。 すごくすごく久しぶりに、自分が興奮しているのが分かった。 此処が何処なのかとか、自分が何をしているのかとか、正しく理解しているつもりだ。それでも今止めて欲しくなくて、キラは思いっきり、両手をアスランの首に回して引き寄せた。 「…キラ」 再度響いたそれを合図にするかのように、体勢が反転された。 久しぶり過ぎる体温が、キラを包む。 |
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08.12.26 up