怠惰と惰性と性欲と 



3.遊び心でロールキャベツを入れてみたグラタン





期待なんて、するだけ無駄で虚しいばかりだなんて、充分すぎるほど分かっていた。キラの性格を考えればその想像が全く正しいものであることに、疑いの余地はなくて。
アスランはこっそり、手帳を開いて日数を数えた。

あの日も、金曜日…いや、土曜の昼だった。唐突に一方的に宣言されて、けれどいつもの習慣が習慣で、毎週決まって金曜の夜と土曜の夜、それと日曜の昼の3回に2回は体を合わせていたから、それがこんなにも崩されるなんて、思いもしなかった。
そりゃあ、キラが性欲の類に淡泊であることは重々承知しているけれど、アスランが誘って断ってきたことは殆どないし、最中だって充分気持ちよさそうに見える。だから、キラだってああいう事が好きなのだと思っていたのだ。
それでも、キラが要するにむらむらと来るまで待たなければならないわけだから、一週間後は無理でも、その次くらいにはもう決着が付くと思っていたのだ。
甘かった。
アスランは大きな溜息を付いた。けれどもまだ社内で普通に就業時間中だったから、音は出さずに肩を力無く落としただけだ。
今日も、金曜日だ。アスランはカレンダーの中の今日の日付をそっと指で触れた。マンスリータイプのカレンダーの、一番最後の金曜日。もう月末なのか、と思う暇も無く、アスランは指を真上へ撫でていく。
先週も、何事も無く過ぎた。
本当に、何事もなかった。土曜日はまた会議が入ってしまったけれど昼過ぎで終わったから、それから久しぶりにキラと映画を見に行って来た。キラが見たい見たいと言っていたアニメ映画はアスランが見ても充分に楽しめるもので、その後は上機嫌に隣接されたショッピングモールで多少の買いものをして、二人肩を並べて帰って来た。
その日の夜、少しでも期待した自分が馬鹿だと思った。
映画を見ていた時も、映画は本当に面白かったのだけれど、ついちらちらと隣に座るキラを見ないではいられなかった。別にやましいことをするつもりは無かったし、楽しみにしていた映画の邪魔をする気も無い。けれど、ふとした息使いとかポップコーンを食べる仕草などに、つい視線を取られてしまった。
日が経つにつれ、そのことばかり考えている自分が居る。
あの日。キラがあの宣言をした土曜日。
明日で一ヶ月になる事を律義にカレンダーは伝えてくる。
我慢を強いられているのだという自覚は在る。これが、俗に言う『溜まっている』状態なのだと分かってもいる。けれど一度キラの提案を受け入れてしまった以上、アスランから降参することは非常に躊躇われた。
しかも、それだけではない。アスランから降参するという事は、つまりキラに、「キラは自分とセックスしたくないだろうけれど、俺はしたいからヤらせてください」と下手になって頼むことだ。それは自尊心とかプライドとか見栄とか嫉妬とか虚栄心とか、そういったネガティブな本音が総動員してイヤだと声を揃えている。今はまだその声が、つまらない性欲よりもアスランの中で勝っていた。
嫉妬や虚栄心の方が、性欲よりもつまらないものかもしれないと、アスランだって分かっている。それでも、自分とキラはちゃんとした両想いであるのだと、胸を張っていたい。そんな基本的な事が、揺るごうとしている事態なのだという事をアスランはなんとなく察していた。
性欲と愛情と恋情は、必ずしもイコールでは結ばれない。キラだって、きっとアスランのことを一番に好いてくれているのだろうけれど、その好きに性欲が伴っていないのだろうとアスランだって想像がつく。
けれど、アスランは違うのだ。キラのことが好きだから抱きたいし、独占したいから淫らに啼かせたいと思う。こんな気持ちを、キラは持っていないのだろうか。
できれば、キラにも自分と同じような気持ちを持って欲しい。そう思う事は欲張りなのだろうか。
例えば今夜、アスランが降参すれば。きっとキラは折れてくれるだろう。しょうがないなと笑うだろう。けれど同時に、キラに対して抱く独占欲は、アスランからの一方通行なのだということが確定されてしまう。
そしてキラは全くと言っていいほど、能動的な性的欲求をアスランに対して持たないことになる。恋人が自分に興奮しないなんて、そんな事実は否定したい。
アスラン自身がキラを見て動悸が早くなって全身が疼いて、早くその存在を抱き締めて。そうして唇を塞いで洋服など全て剥ぎ取ってしまいたい。そんなことを、キラは思わないのだろうか。
単純に否定したい。キラだって、自分と同じような性欲を持っていると思いたい。だから、アスランは何も言わない。

ぐるりと室内を見渡せば、そう広くは無いがこじんまりともしていないフロアの、丁度アスランとは反対側にあたる壁際で、キラがパソコンに向かっているのが分かる。どんな仕事をしているのかまでは分からないが、その真剣そのものの空気に思わず息が漏れる。
苦笑とも溜息とも、自分でも分からない小さな音。

「…ラン、おいアスラン」

急に呼ばれてふと顔を上げれば、イザークが剣呑そうな顔をしてアスランを見下ろしていた。
「…どうした、らしくもない」
口調はきついが明らかに心配してくれるその言葉に、一言すまない、と返す。
「ちょっといいか」
続いて落とされた言葉に軽く頷けば、無言で奥の扉を指し示される。此処ではできない話なんて、そんな重要な案件があっただろうかと一瞬首を傾げそうになったが、ともかくアスランは席を立った。
持っていた手帳を閉じて、無造作にデスクに置く。



 *−*



テーブルに広げられたのは、サラダとコンソメスープ。金曜日の割に仕事が早めに終わったので、メインディッシュは珍しく、キラにしてみればちょっと時間が掛かる献立にしてみた。オーブンが小気味よくチンッと音を立てて完成を告げるのとほぼ同時に、玄関でカチャリと鍵が回る音がする。
「グッドタイミング」
廊下を通ってキッチンに顔を出した、同居人で恋人で幼馴染で同僚の彼に要らない元気を振りまいてみる。アスランは一瞬だけ驚いた顔をしたけれど、漂う夕食の匂いに何が如何してグッドタイミングなのかを察したらしい。
「…グラタンか」
「当たり。時間があったからさ」
「珍しいな」
まあね、と軽い会話をしている間に、アスランは洗面所で手を洗って、続いて寝室に入って行った。すぐに食事ならと、部屋着に着替えているのだろう。
その間にてきぱきと、キラもグラタンをテーブルに並べていく。絶妙にあつあつのごはんの用意が整って、キラは妙に嬉しくなった。


「いただきます」
二人で手を合わせ、スプーンを取る。遊び心でロールキャベツを入れてみたグラタンにアスランは少々驚いたみたいで、キラの目論見は成功したと言えるだろう。
コンソメでもケチャップでもロールキャベツは合うんだから、クリームで食べても美味しいかもね。と、ちょっと前にテレビか何か見ながらそんな話をしたのを思い出したから、帰り道で思い立ってなんとなく入れてみたのだけれど。キラ自身も食べてみれば想像以上に美味しくて、良かったと胸を撫で下ろす。
仕事のこととか、ニュースのこととか。明日か明後日に行こうかって話をしている、電車で三十分くらいの美術展の話とか。そんな他愛も無いことを話していたら、いつの間にかグラタンは空になって、後はコンソメスープを残すのみになっていた。ふとアスランの分を見れば、丁度食べ終えた所の様で。相変わらず少しだけ早いな、と思う。

「なあ、キラ」
「ん?」
 何か些細なトピックでも思い出したのかと、スープを飲みながら曖昧に返事をする。
「今日決まったんだけど」
「うん」
 だいぶぬるくなってしまったスープを最後の一口まで飲んで、器をカタリとテーブルに置いた。
「月曜日から、出張になった」
「へ?」
 言われた言葉があまりに唐突だったので、キラの返事はとても間抜けなものになってしまった。キラ達の会社は他に支社とか支店があるわけじゃないから、出張なんてとても珍しい。
「イザークにさっき言われた。先週納品した商品の説明が足りなくて、月曜からの試運転に支障が出るかもしれないそうだ。だから、俺も付き添う」
 言われた言葉の、意味が分からないわけではない。というよりも。
「なにそれ…それって、僕たち営業の責任じゃん。それなら僕が行くよ!絶対部下の誰かの責任だし。取引先どこ?そしたら誰が営業したか分かるから、その子連れて僕が…」
「いや」
 短く、キラの言葉をアスランが遮る。
「最初は俺もそう思ったんだが、また営業が行っても先方の機嫌を損ねる可能性が大きいだろう。だから、開発の俺が行く」
「…うーん。イザークがそう言ったんだよね」
アスランの言う論理が、分からないわけじゃない。けれどなんだか尻拭いをアスランにさせてしまうみたいで、とても申し訳ない。
「営業部長が謝ってました、て言っといて」
「それは勿論」
話は終わったのか、アスランは立ち上がった。グラタンとサラダの食器を両手に持って、流しへと運んで行く。キラも食事は終わっていたので、いそいそと自分も食器を纏める。
「そういえば、いつまで?」
洗い物をするつもりなのだろう。作って貰った方が片付けるのが、なんとなく決まり事のようになっている。
「先方が納得するまでだからな…モノがモノだから、3日か、一週間か」
「そっか」
テーブルを拭きながら、応える。長いな、と思う。キラ達の扱っている商品は医療に関する精密機械だから、絶対に失敗や欠陥は許されない。そう考えれば、使用方法に納得してもらうのに一週間は掛かるかもしれない。現場の飲み込みの早さにクライアントごとに大きく開きがあることを、営業のキラが誰より分かっている。

「ちょっと寂しいな」
思わず、呟く。部署が違うと若干繁忙期がずれるから、仕事で会社泊まりになって一日二日会わないことはたまにある話だ。けれど、一週間というのは長い。

「…そうだな」
グラスやスプーンを洗う音と、途切れなく流れるシャワーの音。それらに混じって、微かにアスランの声が聞こえた。 





おかしいな、とキラは思った。一週間の疲れで体は今すぐにでも睡眠を求めているはずなのに、頭が冴えてしまって眠れない。こんなことは本当に稀だと思いながら、ぐるりと寝返りを打って体勢を変えた。
横のアスランはとっくに寝入ってしまったのか、規則正しい呼気音が聞こえてくる。体をキラとは反対側に向けてしまっているから、その寝顔までは分からなかった。
一週間。
あと一週間経ったら、あの日から本当に一ヶ月以上が経ってしまう。最初はちょっとアスランに我慢させて、自分の事を欲しくて欲しくて堪らなくさせてみたりなんかして。もしそうならなくても、二週間もシなかったら自分がむずむずしてくるんじゃないかと思っていたから、些細なマンネリ解消法みたいな、そんな軽いつもりだった。
けれどもう、ずるずると明日で一ヶ月だ。
最初の目論見どおり、二週間ぐらいで止めておけばよかったと思う。思うのに、その時できなかったのは、アスランが。キラの予想外に、キラが言い出した宣言のことなんて何とも思っていないような、涼しい顔をしていたからだ。
毎週毎週、週末になると決まって押し倒していたくらいだから、二週間も我慢したら、とっくにアスランから降参するか、キラが誘わずにはいられないようなシチュエーションに追い込んでくるかと思ったのに。アスランは決してそんなことはせずに、寧ろ毎週末に体を重ねていたことなんて無かったかのように、澄ました顔をして。けれどとびきり優しく、それ以外は全くいつも通りに週末を過ごしていて。

明日が休みだから。疲れて溜まっているから。恋人で、丁度いいから。
確かにお互いがお互いを好きな事に違いは無いけれど、何年も隣にいるうちにできた、つまらない規則のようなものだったのかも、なんて。別にアスランはキラのことを欲しくて欲しくて堪らなかったわけじゃなくて、なんとなくそういう習慣だったから、いつも通り事に及んでいただけなのかもしれない。
そう思ったら、自分から誘うなんて、とてもとても悲しい事のような気がした。
キラ自身はといえば、最初のうちはやっぱり溜まったりするわけだし辛いかなあと思っていたのだけれど、全然そんなことはなくて。別にエッチなことをしなくても傍に居られれば満足するし、こうやって隣で同じ布団を分け合って眠るのはとても心地いい。
けれど、アスランは違うと思っていた。キラみたいに傍に居られればそれで満たされてしまうのではなくて、もっと即物的な人だと思っていた。なのに全然そんな素振りをみせないということは。いい加減、キラに飽きてしまったのだろうか。飽きるとは言わないまでも、抱き慣れて、刺激が足りなくなってしまったのだろうか。アレはとても疲れるから、もうしたくないかもしれない。只でさえ仕事で疲れているのだから、寝たいかもしれない。
だって、キラから誘ったことなんてこれまでほんの少ししかないのに、一ヶ月前に言い出した時、アスランは何も言い返さないですぐに納得していた。
それは、つまり。
キラと致すことはもう、アスランにとって全然興奮するものではなくて、言ってしまえば、右手と同じようなもので。

いやだ、と思う。エッチのし過ぎで回数を減らしたいなんて思ったのはキラだけれど、調子の良い事を考えている自覚もあるけれど。
もしアスランも同じ事を考えていたら、と考えたらとても怖い。別にエッチしたいっていう性欲と好きっていう気持ちの大きさが、連動しているとは思わないけれど。それでも、とても悲しいと思った。
耐えられなくて、アスランのパジャマの端をそっとつまむ。
明後日から、一週間会えないかもしれないのだ。
寂しくて仕方ないと分かっているのに、こんなことを考えたら仕事になんてならないと思う。
けれどアスランはちっともそれどころではなくて、出張の事で頭がいっぱいなのかもしれない。
 
明日、美術展に行ったら。夜久しぶりに一緒にお風呂に入ろうかな、とキラはそんなことを考えた。なんだかそういう事をしないのが普通になってしまっていて、どうすればアスランをその気にさせられるのかが分からない。
けれど、明日になって突然誘ったら、絶対に出張が原因だってアスランは分かってしまう。性欲とか興奮とかじゃなくて、寂しいからだと思われる。間違いではない。寂しくて、アスランの気持ちが不安で、一週間離れているのが嫌で、だからその前に一度抱かれておきたいのだ。

決して、アスランに欲情しているわけじゃない。抱かれれば、アスランの気持ちが分かるような気がするから。

なんてずるい。

寝てしまおう、と思った。握っていたアスランのパジャマをゆっくりと離して、もう一度寝返りを打つ。アスランと背中合わせになって、毛布を上まで引き上げた。

背後で少しだけ、アスランが動いたのが分かった。







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08.12.04 up