Limited lovers −限界宣言ー




18.partner









「お久しぶりですわね、アスラン」


 ラクスのことをどう切り出そうか一瞬でも悩んだことが馬鹿らしくなるくらい、ラクスはあっさりとアスランに気軽な挨拶を寄越してみせた。
 確かにアスランのことを知っているとは聞いていたが、知り合いだと聞かされた覚えは無い。
 けれどそれは同じようなものかと、回線の向こうから彼の、思い出の中の幾分高い声とも違う、戦闘の最中に向けられる叫びにも似た怒鳴り声とも違う、穏やかな、けれどやはり戸惑いと焦りの含まれるだろう、けれどやはりこれが彼の日常の声なのだ、と思わせる口調が「ラクス」と呼んだ途端、思考の全てがどうでもよくなってしまった。

「ハッチを開けてくださいませ、私は無事ですわ。…キラも、ここに」

 ラクスが紡ぐキラの名に、幾許かの戸惑いがあったことすらキラは気付かない。
 キラに死ぬなと願う、けれどその生死を左右する唯一の存在があるとすれば、それはキラにとってアスランでしかない。
 自らの望む場所に安々と佇むアスランに、ラクスが何を思うのか。
 そのようなことを考える余裕が、全神経を回線の向こう岸に捧げるキラにあるはずもなかった。


「…キラ?」


 その音が形作られる。
 それまでに通った沈黙の重みを推し量るより強く、キラは喜びに震えた。
 映像回線がストライクのコックピットに映り、念の為にと、形式だけはと向けた銃口の先で、真紅のハッチがゆっくりと開いていった。
 中のコックピットに腰を下ろすパイロットの、バイザーに隠されたその顔の造形までは判断ができない。
 傍らに無かった二年の間に様相を変えただろう彼を、悲しいことにキラは今自分が座る場所から判断する術を持たなかった。

 だが、震えた全身が、彼はアスランだと叫んでいた。

「ま、まって」

 この場はあくまでキラの個人的な、けれど連合とザフト両軍からすれば多大な意味を持つ交渉の場であるはずだ。
 だがそうであらねばならないことを、当のキラが綺麗に忘れ去っていた。
 今キラは、無心に彼の傍らへ走り寄りたい衝動を堪え、この場に赴いた目的を懸命に手繰り寄せようとしている。
 膝の上で不安げに自分を見つめる少女の存在が、何があってもキラはEVIDENCEであり、ストライクのパイロットであるキラ・ヤマトだと教えてくる。
 二年前の、月で無邪気に過ごしていた幼年学校生ではないのだと、全ての感覚に訴えてくる。


 震える指先で操作すると、ストライクのハッチもゆっくりと開かれた。

 キラの前にはラクスが座り、そしてアスランもまた、彼女を帰してもらう為に単機この場へ飛び寄ってきたはずなのに。
 誰一人として、ラクスをまっすぐとは見なかった。

 二人が二人同じように、ラクスを通し、そしてお互いを見つめていた。
 まるで、ラクスがその真摯なほどに向けられた視線を覆い隠してくれると信じているように、その視線は揺るがなかった。
 誰も何も紡がぬまま、ただキラとアスランはお互いを見つめていた。
 戦闘の中ではなく、殺し合いの最中でもなく、平和の中とも言い難いが、それでも会話をし、無言のまま視線を通わせられる空間の中に彼らは居た。


「本当に、キラ…なんだな」


 最初に、回線を伝わせ、ストライクのコックピット内に音声信号を向けたのはアスランだった。
 それは落胆と、後悔と、そして哀れみと。けれど僅かばかりの喜びに彩られた空気を持ち合わせていた。
 アスランこそ、と。
 動かしたキラの唇はけれど空気を震わせはしなかった。
 あそこに乗っているのがアスランでなければいい、キラであるはずがないと、信じたいと思い続けて裏切られてきたのだ、ずっとこれまで幾度も。
 それが今更、願いが聞き届けられるはずもない。
 今眼前に居るのは見知らぬ他人ではなく、行方が知れないと嘆いていたたったひとりの友だった。

 二人一緒でなければ生きられないと、共有した思いは感情だけの話ではない。
 実質、第三者の手を借りずに生き延びるには、二人には互いがいなければダメなのだ。
 ダメなどと生易しい言葉では足りない。寂しいだけでも、物足りないだけでも、欠乏感に苛まれるだけでもない。
 文字通り、互いがいなくては死ぬしかない。
 そんな関係に生まれた瞬間からあった人と、どうして離別を迎えなければならなかったのだろう。
 どうしても抗えなかった理不尽は、けれど再び自分達に覆いかぶさってきた。


 何故。自分が銃口を向ける先に、彼は黙って立っているのだろう。

 どうして。自分は彼以外の為に、この手に銃を握っているのだろう。


 殺しなど、できないくせに。


 けれど何度自分に問いかけようと、こんなこと、唯一無二のアスラン相手にできるはずがないのだと言い聞かせようと、けれど明確な答えの下、全てを整然と行動に移せてしまう自分がいる。
 キラの背に庇われる、アスランに比べればキラにとって僅かな価値しかない人たちでも、持てる命の重さはアスランと等しい。
 その世界の摂理に従うしか、キラに生きる術はない。

 何故アスランの下に行けないのか。
 理由など考えられずただ苦しんでいたキラに、全てを語ってくれた少女。


 キラはゆっくりと、真空と接続されたハッチの中で、頼りなげにキラを見上げるラクスを見つめた。

 ラクスは言った。
 アスランを、たったひとりの存在を、自分の特別にする方法があるのだと。
 そうしたいと思う。
 そうできたらどれだけ幸せだろう、とそれから何度夢想したことか。
 ストライクに捕らわれることなく、AAに残る命に後ろ髪を引かれることもなく、真っ直ぐにアスランの隣へと飛んで行けたなら。

 だがそれは、現実ではないあくまで想像の話だった。
 現に今キラは何もアスランに言えないまま対峙し、そしてアスランもまたキラに何も言わないでじっと見つめている。


「ラクスに、早くSEEDを」


 言えたのは、それだけだった。
 ただの一錠すらもSEEDを持たないまま、MSや戦闘空間の中に存在することは、ラクスには大きな苦痛であるに違いなかった。
 所持していた全てのSEEDを譲ってくれたラクスは、言い換えればキラに決してアスランの隣に立たせない理由を与えてしまった。
 薬が切れれば、キラはアスラン無しでは生きられなかったのだから。

 だがSEEDをキラが持つからこそ、生きられる命があるのもまた事実。
 だがそれは、EVIDENCEであるキラやラクスだからこそ分かる論理。


「そうしておまえは、俺に背を向けるのか」


 響いたアスランの声は、これまで聞いたことがないほどに低かった。


 キラがそっと押し出したラクスの身体を、アスランがその声音とは裏腹に優しく受け止める。
 その姿に、どうしても震える自らの背中。
 だがそれを、何故だかアスランに悟られたくなかった。

「ラクスがキラと同じだということは聞いている。だが俺にはどうしてもそうは思えない」

 アスランが語ろうとしている言葉の意味を、知ってはいけない。

 キラは此処で、AAを背に護らなければならない。
 EVIDEMCEとして、宇宙の公平者として。

「だがそれでも、おまえはラクスにSEEDを、と云う。生憎此処にSEEDは無い。俺自身だからな。EVIDENCEはあるが…それでは意味がないだろう。まぁ、昔おまえとやった薬かあるからなんとかなるけどな」


 唐突に、アスランは饒舌になった。
 吐き棄てるように次々と言葉が生み出され、そしてキラに投げつけられた。
 そこに込められた大きな感情に、けれどキラは決して名前を付けまいとした。
 今のアスランを支配する感情がまっすぐにキラに向いていることが明らかである以上、それを知りたいという誘惑に打ち勝つのは途方もない労力を必要とした。

 だが、すべてを聞かなければよかったのだと。後悔したのは次の瞬間だった。


 それまでは、アスランの暴言に耐え。
 遠い昔、幼年学校の体育館倉庫の中で交わした幼い口付け。
 その瞬間の空気、匂い、そしてまた遠いグラウンドに響いていたクラスメイトの笑い声などが急速にフェードアウトし、キラの脳内ではアスランとラクスが二人、密やかに唇を押し当てていた。

 その姿はけれどこれ以外にないのではないかというほどにしっくりとくる映像だった。
 思い出を擦りかえられた、大地が抜けてしまったような莫大な欠乏感がキラを襲ったが、それ以上に、この絵こそが本来あるべき姿だったのではないかと納得すらした。
 なにしろその素晴らしい絵画の中の二人は、その性別がしっかりと自然の摂理に即していた。


だがそれは、あくまでキラの想像だった。
 現実味のない、実際の思い出を自分自身が有しているからこそ描ける、驕りに満ちた静寂だった。



「そうだ。問題なんてない。何しろ、俺とラクスは婚約しているんだからな」


 これが薬でなくたって不思議でないくらいだ。
 と、アスランはまっすぐにキラの視線を外し、ストライクのコックピットの斜め右上辺りを睨みながら言った。


 SEEDとEVIDENCE。

 そして、男と女。


 確かに後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を覚えているのに、自然の摂理にこれほど即した伴侶がいるだろうか、と。
 遠くなった意識の中でキラが考えたとき、やはり自分はEVIDENCEであり、何事にも公平なのだと絶望した。


「アスラン!!」


 ふらつかないようにその身体をアスランに支えられながら、けれどその腕の中で甲高くすらある悲鳴をラクスが上げる。
 だがその音を、アスランは意に関した素振りを見せなかった。

「婚約はまだ名前だけです。貴方のお父様が…」

「関係ない」

 必死に言い繕うとするラクスの意図は、おそらく思考を深めれば知れるだろう。
 だが今のキラに、そのような余裕はありえなかった。

 アスランの表情こそ知れない。
 だがその声音は、恐ろしいほどの怒りと憤りを含ませてキラに矛先を向けていた。

 それが恋情による嫉妬ではないことだけが、克明にそれだけがキラには知れた。
 キラが自らの傍にないことに、敵となることに不満を抱いてくれはしても、ラクスとの関係を見せ付けてキラを責めているわけではありえなかった。

 ただ酷く、そうとも取れるような言葉遣いでアスランが怒りを湛えているから。
 そうであればいいと、心のどこかで思ってしまったことにキラは自らを冷たく笑った。


 もし本当に、アスランがキラと同じ想いを抱いていたら。
 ラクスがキラに対してそうしたように、絶対に婚約のことは伏せようとするだろう。
 それが事実でしかないとしても、受け入れる気がなければ晒す意味もない。

 ただアスランだけを選ばなくなったキラに怒りを覚え、そのあてつけにラクスを引き寄せているだけだ。
 キラですら『覚醒』を聞かされてはじめてアスランへの思慕を自覚したのに、アスランが同じ感情を抱いているはずもない。


「…そっか」


 他に、何が言えただろう。

 自分を選んでくれないと嫌だと、伴侶を作らないと死んでしまうのだと、だから選んでくれと。
 今此処で告げればいいのか。

 彼に、銃口を向けたまま。


 言えるはずもない。

 言えば、アスランはキラをそういう対象として考慮してくれるだろう。
 その結果を出すのはアスランでしかないが、その結論を決して聞きたくない。


 自分は、EVIDEMCEだけれど。アスランが、SEEDがいなくては生きてはいけないけれど。
 けれどそうであると同時に、人間としてどうしようもなく男なのだから。


 望む未来はありえない。
 だが全ての事実は、おそらくはアスランを迷わせる。
 その迷いを回避するため、『覚醒』を通して伴侶になるために、ラクスは決して全てを告げはしないだろう。
 彼女の希望に添えるかと問われたら、正直分からないとしか言えなかった。
 正確に言えば、何も考えてはいない。


 ただ今は、アスランに背を向けて。此処から去らねばならなかった。

 すべきことは全て、終わったのだから。

















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