Limited lovers −限界宣言ー




1.birthday








 

「完成だ」

 

 呟かれたその場の責任者の低い音に、一つのポッドを取り囲んでいた人々から口々に溜息が漏れ聞こえた。

 何年にもわたる研究と実験、そして失敗を繰り返し、やっと作り上げることのできた唯一の完成形。

 幾重にも重なる人の波の中心では、人工羊水につかる赤子が一人。

 すやすやと眠り、こぽこぽと泡を立てている。

 

「EVIENCE……」

 

 誰かが、そっと呟いた。

 その言葉は辺りをしんと押し黙らせ、そして彼らの視線を真っ直ぐに赤子へと向けさせる。

 此処は、いくつものポッドが立ち並ぶ研究室。その最奥の壁際には、彼らが赤子に向ける呼称と等しい名を持つ未知の生物の化石が、ものも言わずに鎮座している。

 

 そちらを、振り返った者がいた。

 そしてゆっくりと、また視線を赤子に戻す。

 

「…名前を、つけよう」

 

 ゆっくりと声が上がった。EVIDENCE、とは、この世界にこの赤子だけが冠することを許された、ナチュラルでもコーディネイターでもない新人類の種族の名。

 双方と共に異なろうと、この世界に同じだと呼べる者がいなくとも、それでもこの子供は人間であると、当然のように感じられたのはその場に母がいるからかもしれない。

 

 一人の女性が、輪から抜け出して赤子に近づいた。

 まだ生え始めた髪は産毛のように薄く短いが、それでもその女性と同じ鳶色だということが分かる。

 そっと、その女性の細く白い指が静かにそのポッドに触れた。

 すると、これまで堅く閉じられていた赤子の瞳がゆっくりと開き、中からは女性と全く同じ色の深い紫紺の瞳が姿を現した。

 まるで母親に甘えるかのように、赤子は羊水に伝わる振動に身を任せている。

 そして女性も、我が子をあやし、撫でるかのようにいとおしげにポッドをさすった。

 

「…キラ」

 

 そっと、呟かれた言葉は慈愛の色に満ち。

 その場の誰もが、満足げにその姿を見つめていた。

 

 

「キラを、抱いてみるかい」

 

 沈黙を破ったのは、責任者の言葉だった。

 反射的に振り返った母の期待と驚きに満ちた瞳に、彼は無言で微笑む。

「ナチュラルで言えば丁度子宮から生まれ出る頃合だ。やはり、キラも羊水より母の腕の中が良いだろう」

 言って悪戯気に微笑んだその初老の男に、彼女は瞬く間に破顔し、大きく頷いた。

 

 

 ポッドの中からゆっくりと羊水が排水される間、少しだけEVIDENCEについてお話しよう。

 

 

 EVIDENCE…通称「クジラ石」

 

 この世界には地球以外にも生命がいることを裏付けた唯一の証拠とされるその化石には、分類不可能な様々な物質が入り混じっていて、キラが誕生した今でも未解析の部分は多い。

 しかし、この生物はどうやら宇宙空間の中を生身で彷徨い、かつ人類に非常に酷似したDNA配列を持っていることが判明した。

 コーディネイターを生み出したナチュラル。そのときもまた、より強く、より賢い人類を創造することが目的だった。

 そして、また今も。

 

 ナチュラルとコーディネイターのいがみ合いの亀裂が大きくなってきた昨今、プラントの安全を司るザフトでも、ナチュラルとの開戦を声高に叫ぶ強硬派と、共存を謳う穏健派とに勢力が二分されていた。

 

 キラが生まれたのは、穏健派が秘密裏に作り出した研究施設。

 EVIDENCEを用いることでコーディネイターとはまた異なった人類を誕生させられるのではと考えた彼らは、実験を繰り返し、生まれ出でる新人類が共存に向けての橋渡しとなることを祈って、何百人という無数の生きた命を失敗作にして、やっとここまで辿り着いたのだ。

 先ほどキラに名を与えた女性、ヴィア・のヒビキDNAを基盤に、EVIDENCEのDNAを混ぜ込んだ新たな人類。

 

 

 羊水の抜け切ったポッドの底で、何も分からず不安げにヴィアを見つめる小さなキラ。

 早くこの子供を自らの腕に抱き上げたくて、ヴィアがはやる気持ちを抑えつつポッドの口を開ける。

 

 その瞬間。

 

 キラが、初めて声をあげた。

 健康的な産声からはほど遠い、

 引きつるような苦しげな声を。

 

 

 最初、誰もが事態を飲み込めなかった。まるで上手く泣けない子供のように胸を苦しげに上下させる姿に、ヴィアがポッドからキラを出そうとその指を直に触れた途端、キラの苦しみは更に増した。

 その所為で抱き上げることはおろか撫でてあやす事すらできないヴィアは、周りに怒鳴られてやっとポッドの口を閉めた。

 がしかしそれでキラの様子が元に戻るはずも無く、徐々にひきつけは激しさを増し、まるで世界を拒絶するかのように全身で苦しみを表現するキラに、慌しげにポッドを人工羊水が満たしていく。

 

「手のあいている者は原因を探れ、急ぐんだ!!」

 

 一斉に鳴り出すコンピュータのキー音に、羊水の派手な水音は掻き消され。 

 羊水につかっても尚苦悶の表情を浮かべるキラに、コーディネイターの中でもトップに位置する科学者達が、成す術も無くおろおろと見つめている。

 

 何度も何度も羊水をろ過し、消毒を繰り返し。なんとかキラの表情から苦しみが消えたのは、名を貰ってから数日後のこと。

 その頃には、驚くべきキラの特異体質のいくつかが、既に解明されていた。

 

 まずひとつに、宇宙空間を悠々と泳いでいたのであろうEVIDENCEの名残か、キラもまたほぼどのような環境でも眉一つ動かさずに耐えることができる。

 そしてまた、知能指数もコーディネイターにひけをとらないか、ともすればそれ以上に高く。

 がしかし、誰もが予想していなかった、キラがナチュラルやコーディネイターと共に生きるためには決定的に致命的な特異性も、この時に発見された。

 

 それは、キラが本能的に命を奪うことを拒絶しているということだった。

 無意識的に呼吸と共に微生物を殺し、生きるために命を食物としている地球の人類に、殺すな、というのは不可能だ。

 しかし、EVIDENCE達が生物の居ない宇宙で、何かしら別のものをエネルギーに生を営んでいたならば、他の何ものも殺さずに済ますことも不可能ではないかもしれない。

 けれど、此処は地球だ。

 

 呼吸をせずに人が生きることも、何も食べずに生を繋ぐことも人類にはできない。

 

 EVIDENCEの特異性を伴って人として生まれたキラに、果たして生き残ることはできるのか。

 科学者たちの目的である、ナチュラルとコーディネイターの共存を目指すものとして、その使命を全うできるだろうか。

 

 せっかく生まれ出でた命。

 けれど、答えは誰もが、否、と言うしかなかった。

 

 完成体だ、と皆を喜ばせたこの新しく小さな命も、こうして誕生から数日後には、失敗作の烙印を押され、明日にでも廃棄されることが決まってしまった。

 

 命を奪うことを本能的に拒絶するようでは、地球上ではほんの数分も生きられないのだから、と。

 

 

 がしかし。キラを我が子のように思い誕生を待ち望んできたヴィアにとって、その決定は衝撃が大きすぎた。

 もし、何か方法があれば生き残れるのではないか。EVIDENCEとしては役に立たないかもしれなくとも、キラはまだ生きているのだ。ヴィアに瞳を真っ直ぐに向けてきたキラは、確かに生きたいと言っていた。

 ヴィアは、夫でもあり、また同じ研究チームの一員でもあるユーレン・ヒビキに相談し、その日の晩、キラをこっそり研究所から連れ出した。

 

 それがどれだけキラにとって危険であり、脅威であるかは分かっていた。羊水を抜き、ポッドの口を開けた瞬間キラはまた恐怖と苦しみで全身を引きつらせたし、全身を消毒したスーツを纏ってキラを抱き上げても、決して擦り寄ってはこない。

 滅菌したガーゼでキラの口と鼻を塞いだヴィアは、ユーレンと共に研究所を脱走した。

 

 EVIDENCEの研究に嫌気がさしたわけではない。

 只、単に。キラを見殺しにすることが耐えられなかった。これまで他に幾人もの命を見捨ててきたというのに、今回だけは、何故か。ヴィアにとってキラは限りなく自らのクローンに近く、言ってみれば二人の子供のようだからと言えなくも無かったが、あまりに研究者として愚かであるとは二人とも分かっていた。

 

 それでも、二人の足は止まらなかった。

 

 事前に話し合ったとき、行き先は一つしか思い当たらなかった。

 

 EVIDENCEの研究がザフトの穏健派の研究であり、キラをその産物とするならば。

 似たような研究を行い、またその頭脳レベルもヴィア達と等しい研究所。

 

 其処は、ある意味での敵と言えるザフト軍強硬派。

 彼らが管理下に置いている研究施設。

 

 実際的に何を研究しているのかはヴィアやユーレンにも分からなかったが、それでも。

 キラを救えそうな場所をと考え、思い付いたのは此処しかなかったのだ。

 

 

 ヴィアとユーレンは、キラの生態について強硬派の研究チームが調べ上げることを条件に、此方に移籍を決め、人工羊水を満たしたポッドに再びキラを移し入れた。

 

 

 その隣のポッドではすやすやと、まだ髪も無くきつく瞳は閉じたままの。

 まだまだ本来なら母の子宮の中に居るべき段階の小さな小さな子供が、体を丸めて眠っていた。

 

 

 

 それは、二人の知らない。

 

 キラとアスランの、最初の出会い。















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