Sacred Evil 1
| 教会前の小さな処刑広場から歓声が上がった。 集まった群衆は身を乗り出して、囲む十字架に拳を突き上げる。 夕暮れ独特の冷たい風がその十字架の根元でパチパチと音を立てる小さな火を更に揺さぶり、煽ってその真っ赤な両腕を少女の足元にまで掠らせた。 十字架に結わえ付けられたその少女は一人、その度に苦悶の表情を端正な眉に露にする。 するとそれに呼応するように、群衆は声を揃えて彼女を罵倒した。 「魔女を殺せ。 ジャンヌ・ダルクに神の裁きを」 炎が大きく育ち、彼女の足元に組まれた丸太が盛大に熱を持ち出した頃には。 その声は、いよいよ宵藍に染まろうとする天に届かんとばかりに高まり、とうとう彼女の下半身を炎が包みだした。 もう彼女には、己を囲む、魔女を恐れるあまりに声高に魔女殲滅を叫ぶ群衆の声など聞こえてはいなかった。 ついさきほどまで自らの短い生涯がそれこそ走馬灯のように全身を駆け巡っていたがもうそれも終わりを見せ。 今は只、二つの感情が彼女の意識をまだ此処に保っているに過ぎなかった。 一つは憎しみ。 僅か数年前まで故郷ドムレミ村で貧しくではあったが楽しく農作業を営んできた彼女の前に突然現れ、そしてお告げを寄越した天使に対する強大なそれ。 『祖国を救え』と告げ、彼女に『聖女ジャンヌ・ダルク』の二つ名まで与えて、そしてその強大な力で彼女をいてもたってもいられなくさせたくせに。 敵国の圧力に怯えて隠れるように生きていた次期王を護衛させ、とうとうランスで戴冠させた後には、まるで用済みだといわんばかりにその神々しい力は一切彼女を包んではくれなくなった。 どうして、と天に問う力すらもはや彼女には残されてはおらず。 ただそれまでの、神もかくやといわんばかりの戦場での強さに怖れをなしていた敵国にあっけなく捕われ、正規の裁判をあまりに逸脱した一方的な魔女裁判に強引に掛けられた上、一言の弁明も許されないまま死刑を宣告され、そして今それが執行されきろうとしている。 魔女ではない、神の使いだと何度も看守に牢内から叫んだ。 だがそれがほんの一片でも聞き入れられることは無く、纏っていた男物の鎧こそが人を欺く魔女の証とされ、強制された黒の喪服に着替えればそれこそが、神を裏切る異端の証だと詰め寄られた。 故郷ドムレミ村で現れた天使は、その後は只の一度も、彼女の前に姿を現しはしなかった。 天を、神を彼女は呪わずにはいられなかった。 彼らにこのような過酷な運命を強いられさえしなければ、今も故郷で貧しくとも幸せな生活を送ることが出来ていたはずなのだ。 彼女は、視界をだんだんと占めていく紅蓮に、只ひたすらに。懐かしい故郷の夕暮れ時を思い出していた。 今ひとつの感情が、あの瞬間天使の手を取った己に、後悔ばかりを突きつけてくる。 故郷に残してきた大切な大切な幼馴染。 否、表面的には村の皆にもそう見せかけてはいたものの、実際は想いを伝え合って将来を約束していた大切な人があそこにはいた。 なのに、彼女は神と天使に『お告げ』と称される強大な力を向けられて未来を変えられ、その想いを断ち切られてしまった。 彼にもう一度会いたい。 会って想いを伝えなおし、そして離れていた時間を埋めるようにしてやり直したい。 けれど今、その年頃の少女らしい些細な思いが聞き届けられることも無く、彼女の体は空しくも全身が炎に包まれていく。 感覚を無くした腕から、肉のこげる嫌な匂いが立ち込める。 耳元でごうごうと、炎が揺られて無限に形を変えていく音が聞こえる。 熱くて開けていられなくなった瞳を、これが最後かと天に向ければ。 紅越しに見えたのは、彼を纏う髪色にそっくりな濃い宵藍の空の色。 どうして自分は此処に居るのか。 それすら分からなくなりかけていた彼女の胸に残るのは、全ての元凶であろう神を罵る心と、そして彼にもう一度会いたいと願う何よりも強い恋心。 けれど現実に彼女は持てる全てを放棄して炎に飲み込まれなければならず、呼吸の為に僅かでも口を開けばもう入ってくるのは熱い炎ばかり。 耐えられなくなって閉じた瞳に浮かぶのは、いつも苦笑を浮かべて見守ってくれた彼が優しく腕を差し伸べてくれる姿。 動かないはずの顎が、爛れたはずの唇が音にならない彼の名を紡ぐ。 そして。彼女自身もまた。 闇に浮かぶ彼が、笑顔で彼女の本当の名を紡ぐ声を聞いていた。 「―――――キラ」 彼女に僅か、悦びの色が宿る。 そして彼女はとうとう、その全身を炎に飲み込まれた。 濃い闇に立ち上る人を焼いた匂いと高い紅に、集まっていた人々はめいめい服の袖で口元を覆いながら家路にと踵を返す。 死刑執行人すらも教会の中に消えた深夜。 燃え尽きたはずの彼女の肉体は、消火された地面に音も無く落ち、そして。 何かの合図を伝えるように、彼女を支えていた十字架が、縦に大きく。 一思いに、裂けた。 『お告げ』に代わる新しい力が、再び彼女の未来を変えた。 |
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