なんでもない休日
| あーあ、つまんない。 キラはそう心の中だけでつぶやいて、何度目になるか分からない溜息を吐いた。 ぐるりと室内を見渡す。休日の昼下がり、というだらけた空気がキラに纏わりついてしまったのか、何もする気が起きなかった。 …本当なら、今日はカガリのショッピングに付き合って、どこかで食事をする予定だったのに。 そう思うと、またしても溜息が口の中に溢れてくる。我慢することなくはぁ、と再び吐き出して、キラはソファに背中を預けた。 そもそも、今日の約束がなくなってしまったのは自分の所為なのだ。此処のところ続く暑さの所為で食欲が無くなってしまい、確かに思い起こせばアイスとかサラダとかジュースとかゼリーとか、冷たくてさっと食べられる物しか口にしていなかった。 けれど、とキラは思う。今日のことは、そうやって自分のことを疎かにしていた罰なんだと思えば仕方のないことかもしれないけれど、だとしてもタイミングが悪すぎる。 アスランは1週間ほど前から出張で、今は地球の反対側に居る。此処と違ってあっちは真冬だから、あれもこれもとクローゼットの奥からコートだのセーターだのを引っ張り出して、キラも荷造りを手伝った。 「そういえば、俺がいなくてもちゃんと食べろよって、言われた…」 出発前に、アスランは冗談交じりに言っていた。車に気をつけろよ、と同じレベルで他愛もない言い方だったから、「僕はきみと同じ年なんだから大丈夫だよ」と、いつもの調子で膨れて返して、玄関口で彼を見送ったのが先週の頭のことだ。 そのことを思い出して、キラはまたひとつ溜息を吐いた。 そのまま、目の前に置いてある麦茶に手を伸ばす。 今日こそちゃんと食べなくちゃ、と思うのだけど、そういえば朝から、この麦茶しか飲んでいない気がする。 昨日、仕事場で先輩のディアッカと昼ご飯を食べていたら、その直後に突然貧血と吐き気が襲ってきて、立っていられなくなってしまったのだ。そのまま会社の医務室で休ませてもらって、治ったと思ったらもう終業時刻だったから、荷物だけ纏めて帰ってきてしまった。 昼からの仕事をすっぽかした同僚と上司には一通り頭を下げたけど、皆一様に「いいから早く帰って休め」と言うので、すごすごと帰ってきた次第だ。 別に皆が心底心配してくれているのは分かるし、倒れたと聞いたら「帰って休め」となるのは当然だ。繁忙期は先々週くらいに抜けているから、多忙が原因というわけではないと思う。 アスランがいなくて、寂しかったわけじゃない。そりゃ一緒に暮らしてる部屋で一人待っているわけだから寂しいけど、キラにだって仕事もあるし同僚も友達もいる。そんなことで倒れてしまうほど、精神的に弱くもなく、アスランに頼り切っているつもりもなかった。 けど、倒れて医務室で寝ている時に、薬が効いたぼんやりとした頭で理由をよくよく考えてみたら、結局は、アスランがいないから倒れた、と言えなくもないのだな、と思った。 アスランがいれば、少なくとも朝か夜は一緒にご飯を食べる。そうすれば、自然とバランスの良い食事になるし、偏ったり食欲がなくなったりしていれば、キラ自身より早くアスランが気づく。もちろんそれはキラの側にも言えることなのだけれど、アスランは基本的に食べたり寝たりという自己管理がしっかりしていて、キラみたいに「食べたい、食べたくない」だけであまりメニューを選んだりしない。 だから結局は、アスランがキラの面倒を見たり、不調に気付いたりする回数の方が圧倒的に多くなってしまう。 普段なら、「好き嫌いは良くないから」と諌められたり、「一日一個」と決めたアイスクリームやお菓子の類をアスランと分け合ったりすることが、体調管理なのか叱られているのか笑い合っているのか、境界線なんて分からない。 キラにしてみれば、そうやってアスランに怒られることも、呆れられることも一緒に笑うことも、全てアスランとじゃれあうコミュニケ―ションのひとつで、楽しくて仕方がなかった。 でも、ひとりで過ごして1週間でこうなってしまうということは、つまりキラは、全く自己管理ができてなくて、アスランに頼り切っていたということなんだろう。 繁忙期でもない時に、遠回しな理由だとしてもアスランがいない、というそれだけのことでふらふらと倒れてしまった自分に、キラは嫌な感じを覚えて苛々とした。 …もう、24なのに。 家に帰ってからもなんとなく足元がおぼつかないような気がして不安だったので、キラは仕方なく、カガリに連絡して翌日の予定をキャンセルしようとした。無理に出かけて行って、カガリの前で二の舞になるわけにはいかない。 そう思って連絡したら、どうしてかカガリは全て知っていた。 知っていたどころか、貧血で倒れただけなのにものすごく心配され、挙句の果てに現在アスランが出張中なのも知っていて、大丈夫か、家に行こうか、とすごい剣幕でまくし立てられてしまった。明日の予定が無理そうで、となんとかキラが言うと、そんなことはいい、と一言で切って落とされてしまい、1カ月ほど前からアスランの出張に合わせて入れた予定で、カガリがずっと楽しみにしていたのを知っていたから、ほんの少しだけ驚いた。 ただ、家に来る、というのはなんとかごめん、と遠慮した。すぐに寝るつもりだったし、ただの貧血なのだから、翌日も家で安静にしていれば問題ないだろう。 全て自分が悪いのに、倒れたからといって誰かに面倒を見てもらったりしたら、更に自分に苛々としてしまいそうだった。 ずっと楽しみにしていたのを反故にされたというのに、全く気にしないで心配してくれるカガリの声を聞いたら、本当に、どうしてしっかり食べなかったんだろうと後悔した。 後悔した、のだけれど。 起きたらまた、こうしてだらしなくソファの上で麦茶ばかり飲んでいる。 冷蔵庫にはいろんな食材があるのだから何か料理をしないと、と思うのだが、何故かその気になれない。 2日間の週末が過ぎれば仕事に行くのだから、それまでにはしっかりと食べて体調を戻さなければならないし、なにより、今週はアスランが帰ってくる。 部屋も綺麗にしたいし、洗濯も終わらせたい。 どこもかしこもピカピカにして、出張で疲れたアスランをねぎらいたいと思うのだけれど、先程からキラは、縫いとめられたようにソファの上から動けなかった。 なんとなくテレビを付けてはいるけれど、特に見ているわけでもない。 リリリリリリ その時、麦茶の隣に置いていたキラの携帯が突然鳴り出した。 通話だ。反射的に手を伸ばし、画面に表示された名前に目を見開く。 「…ア、スラン?」 おそるおそる出る。 「キラか? 体調は大丈夫か?」 「え…」 「ディアッカに聞いた。会社で倒れたんだって?」 「あ…うん」 ディアッカは、アスランの同期入社でキラの先輩にあたる。キラとアスランが一緒に住んでいることも、アスランが今出張中なことも知っているから、気を使ってくれたのだろう。 ありがたいと思う。キラを心配して、してくれたことなのだ。 でも、今はどんなことにもすぐに苛々してしまう。頼んでもいないのになんで余計なことを、と思ってしまった。 アスランに知らせるなら自分でする。でもなんとなく、貧血で倒れたと言えばそれだけで、自分がいなかったからちゃんと食べていなかったとすぐばれてしまうだろうから、言いだせずに、昨日も今日も、今まで連絡していなかったのに。 アスランが一週間いないだけで倒れてしまうなんて、かっこ悪すぎる。 「今日は大丈夫か? 連絡が遅くなって悪い。今日カガリに会うと言っていたから、こっちからカガリには連絡をしたんだが…」 「うん、すごい心配されちゃった。昨日の今日だから、今は家に居るよ。おとなしくしてる」 「そうか、なら良かった。」 「アスランこそ、仕事平気なの?」 「ああ、こっちでは今は夜だからな。もう寝る所だよ。今まで連絡できなくて…悪かった」 「いいって、そんなこと。わざわざありがとう」 連絡しなかったのはこっちなのだから、謝られると困ってしまう。 不摂生を呆れてるだろうに、電話越しじゃ、作り物めいた心配しか伝わってこない。 呆れてるなら、そう言えばいいのに、心配ばかり。 「…気をつけろよ、もうすぐ帰る予定だから」 「分かってるよ。…ちゃんと食べるって」 はやく、アスランに会いたい。会って話せば、全部伝わる。 倒れたのは全部自分が悪いけれど、アスランが隣に居てくれたら、倒れることも、こんな風に苛々することもないのだ。 「頼むからそうしてくれ。俺と居る時なら、いくら偏食でも構わないから」 「……」 「これ食べろ―食べるな―とか、くだらないことでもキラと話していると楽しいからな。でも、出張中じゃそんなことはできないし」 「うん」 「倒れたって聞いても、流石にここからじゃ何もできない」 「分かってる」 本当に、分かってるよ。 アスランと楽しく笑っていたいのであって、心配掛けたいわけでも苛々したいわけでもない。 「…なら、いいんだが」 「ちゃーんと分かったから、新発売のアイスはアスランが帰ってくるまで我慢するよ」 アスランと、無為に日々を過ごしているわけじゃない。もう、れっきとした大人なんだから。 「俺の前で、一人で食べるんだろ?」 「だって、アスランはアイスあんまり好きじゃないでしょ」 「でもキラがあんまり美味しそうに食べるから、いつも一口くらい食べてみたくなる」 「なら、一口だけあげるよ」 「約束だからな」 「はーい、約束」 ずっと昔からこうやってアスランと一緒に居て、気づいたら今、それぞれ働きながら一緒に暮らしていて。 何も変わらないけど、でも、変わらないといけないところもある。 …面倒だけど、でも。 子供のままの自分に、苛々するなんてつまらない。 「よし、元気そうで安心した」 「明日も仕事なんでしょ? 寝ないと」 「分かってるよ。キラは、のんびり休みだな」 「いいでしょ―」 「羨ましいよ、本当に」 「帰ってきたら、一緒にのんびりしようね」 「ああ、楽しみにしてる」 「おやすみ、アスラン」 「おやすみ」 携帯を耳から離して、通話ボタンを切る。 不思議な気分だった。どうせ呆れられて怒られるんだと思って連絡しなかったのに、実際に話してみたら、全くそんなことはなくて。 久しぶりに聞いたアスランの声に、なんだか少しだけ、苛々が解けた気分だった。 携帯をテーブルに戻して、すっかり軽くなった身体を感じてソファから立ち上がる。アスランはたった数分の電話でキラの苛々を解消してしまって、その事実を思った時にまた違った種類の苛立ちがキラを包んだけれど、それはすぐに霧散してしまった。 さすが、アスランだ。 キラはキッチンに立つと、迷いなく冷蔵庫を開けた。 何を作ろうか。 小さく鼻歌を歌いつつ中を確かめるうち、少しずつ食欲が湧いてくる。 アスランが居ないから食べれないなんて、そんな自分にはすごくムカつくけど。 結局アスランのおかげでまた食欲が湧いてしまう。そんな単純な自分に、またムカついても仕方ないと思えた。 「離れてる時まで、かっこいいなんて詐欺だよね」 つ、と寄ってきて肩にとまった小型の鳥型マイクロユニットに、わざと捻くれた口調で話しかける。 するとそれは、小さく首を傾げて、酷く楽しそうに鳴き声を上げた。その仕草が愛らしくて、そして全てを心得た顔をしていたので、キラも釣られて、くすりと笑ってしまった。 ――少しだけ遅い、休日がはじまる。 |
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